日本三大美林、下北半島の青い森

宇曽利山湖
霊場恐山。あちこちで硫気や水蒸気がゴボゴボと噴き出し、地獄のような絵図を描きます。硫黄分が強い酸性土壌のため、草木はほとんど見当たりません。しかし、周囲の外輪山は、対照的に緑濃い原生林におおわれています。

かつては、緑におおわれた恐山の周辺部は大畑町に、恐山そのものはむつ市の飛び地となっていました。が、2005年3月に大畑町がむつ市に編入されたため、現在は全てむつ市となっています。

大畑はイ力漁の町として知られますが、かつての町域はむしろ山側に広がリ、96%が山林によって占められていました。大畑から恐山に向かう山の斜面には、雄大なヒバの天然林が広がリ、木曽ヒノキ、秋田杉と並ぶ日本三大美林の一つ、青森ヒバの古里の名に恥じない見事な景観を見せています。

ただ、三大美林とはいえ、ヒノキや杉に比べると、ヒバの知名度はだいぶ低くなります。ヒバは日本特産樹で、南方型アスナロと北方型ヒノキアスナロの二つがあります。青森のものはヒノキアスナロで、全国の82%が集まリ、とくに下北、津軽両半島に大団地をなして分布しています。

恐山
ヒバはまだすっぽりと雪におおわれた2月から3月に、たくましく花を咲かせ、命の営みを始めます。成長には200年から300年かかり、その間、風と雪によって鍛えられます。三大美林と言われるものは、いずれも天然林ですが、藩政時代から積極的な山林経営がなされ、「枝一本腕一本、樹一本首一つ」という厳しい掟の中で守られてきました。現在伐採されているヒバは、そうした藩政時代初期に芽吹き、江戸、明治、大正、昭和と長い時代の変遷を見て、成長してきたことになります。

青森ヒバは、湿気に強い、腐朽菌に強い、振動・圧力に強い、木目が緻密で美しい、シロアリに強いなどの特長を持ち、古くから築城、神社仏閣などの建築に使われてきました。代表的なものに、岩手県平泉の中尊寺金色堂、青森県弘前市の弘前城などがあリ、宮大工など一部の人たちには、ヒノキと双壁をなす良材と認められていました。

実は、建て替え前の我が家も、青森ヒバを使っていました。長男が独立し、長女もやがて結婚という頃、築30年ほどになるので、リフォームを考えました。住宅会社との打ち合わせも終盤になり、屋根材の選択となって、知人の一級建築士にどういう素材がいいか相談しました。

青森ヒバ
すると、それだけコストをかけてリフォームするなら、土壌も含めて基礎からやり直した方がいい、と。結果、そこから建て替えに変更するわけですが、前の家の取り壊しの際、国土交通省から、木造住宅の経年劣化の程度を調べたいと申し入れがあり、特に問題がないので引き受けました。で、あちこち調査した結果、全く傷みがなく、青森ヒバの底力を実感したものです。

ちなみに、ヒバは、1901(明治34)年、本多静六さん(日本最初の林学博士)が、従来のアスナロと青森県のアスナロとの間に違いがあることを発見し、牧野富太郎さんがアスナロ属の中に、アスナロの一変種「ヒノキアスナロ」として命名したものです。なお、青森県内に生育しているヒバは「青森ヒバ」と呼ばれ、 青森県では昭和41年に県の木に指定し、県民に親しまれています。

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