七戸から八甲田山を抜けて青森へ

青森りんごの里

青森の奉仕団体が、毎年、耳の不自由な子どもたちをリンゴ狩りに招待しているという話を聞いて、取材に行ったことがあります。リンゴ狩りをするのは、青森の市街地からは少し離れた八甲田山麓にある観光果樹園「青森りんごの里」で、青森駅からは10km強という感じでした。

リンゴ狩りは午前中に行うというので、前泊が必要。当然、青森駅近くに泊まるのが便利ですが、実は新幹線の停車駅は、青森駅とは離れた新青森駅になります。東京‐新青森間は3時間15分で、青森駅までは乗り換え時間を入れて約3時間半です。新青森にもホテルやレンタカーがあるので、そちらでもいいかと思いましたが、「青森りんごの里」は東京方面に結構戻る感じだったので、結局、一つ手前の七戸十和田駅で降り、駅に近い東八甲田温泉に泊まることにしました。


七戸町はかつて、レールバスが走る南部縦貫鉄道が通っていた町です。しかし、南部縦貫鉄道は2002年に廃止され、現在、JR七戸十和田駅が町唯一の駅になっています。聞くところによると、町唯一の駅が新幹線の駅というのは、日本全国で七戸町だけだそうです。

駅に隣接してイオンのショッピングセンターが、またイオンの駐車場の隣には道の駅もあって、いろいろな施設が集まっているようですが、日が暮れてから降り立つと、かなり寂しい印象です。目指す東八甲田温泉は駅の近くにあるはずですが、駅からは見あたらず、駅前の公園を突っ切って、Google Mapが示す方向へ歩いてみました。


すると、何となく「あれかな?」という2階建ての建物があり、近づいてみると、「日帰入浴」と共に「宿泊 東八甲田温泉」の看板がありました。七戸町で唯一の宿泊が出来る温泉とのこと。ここのお湯は掛け流しで、大浴場の他に、青森ヒバの香りが心地よりヒバ風呂がありました。

翌朝、駅の反対口にある駅レンタカー七戸十和田駅営業所で車を借り、受付で青森市田茂木野にある青森りんごの里までの道を確認したところ、「八甲田山を通る県道40号は通行止めになっているはず」と。「えっ! うそ・・・そんなはずは・・・」という私に、「確認してみますけど、確実なのは国道4号をいったん北上して、みちのく有料道路で青森市内に入る迂回路です」と、別ルートを教えてくれました。

青森りんごの里

ただ、想定外の上、土地勘が無いため、そのルートで取材時間に間に合うのか、全く見当がつきません。途中まで行って、県道40号が通行止めになっていた場合、別ルートがあるか聞いたところ、そこからの迂回路はないため、戻ってくるしかないとの返事。そうこうしているうちに確認が取れ、数日前に雪は降ったが、まだ通行止めにはなっていないので、天気が崩れない限り大丈夫だろうとのことで、予定通り八甲田山を通って行くことにしました。

詳しく調べていなかったのですが、県道40号沿いには「平沢第一露営地」「鳴沢第二露営地」「中の森第三露営地」「歩兵第五聯隊第二大隊遭難記念碑」など、八甲田雪中行軍遭難事件の現場が点在していました。後で聞くと、青森りんごの里がある田茂木野は、八甲田山雪中行軍遭難救助の捜索本部が置かれた場所だそうです。

青森りんごの里

少し事件に触れてみると、1902(明治35)年1月23日午前6時55分に日本陸軍第8師団歩兵第5連隊が、青森連隊駐屯地を出発。田茂木野村を通過する際、地元の老人が、天候が悪化しているので行軍を中止するよう進言するも、将校はこれを一蹴。そこで老人は、山に詳しい村人を案内に付けると申し出ましたが、将校らはこれも拒否して、地図と方位磁針のみで厳寒期の八甲田山に入って行きました。その結果、訓練に参加した210名中199名が死亡、世界最大級の山岳遭難事故となりました。

そんな場所を、何も考えずに走行していたわけで、あと1週間か2週間遅い時期だったら、本当に通行止めに遭遇するか、天候悪化に巻き込まれていたかもしれません。実際、取材の帰り道に立ち寄った「銅像茶屋」は、明日から冬季休業に入るから、と外にあったものを全て室内に入れるなど片付け作業中でした。そのため、自動販売機の飲み物も撤去されており、店内に残っていた飲み物を分けてもらい、自分の甘さを反省したものです。

ところで八甲田山は、『日本百名山』で、山頂から太平洋と日本海の両方が見え、「居ながらにして日本の幅を望み得る」と紹介されています。青森りんごの里は、そんな八甲田山麓にある観光果樹園で、園内には約1000本、40種類のリンゴの木が育っていました。

青森りんごの里

青森県はリンゴの生産量で全国の60%近くを占めます。また国産リンゴの輸出量の95%が青森県産とのデータもあります。特に青森県生まれの「ふじ」が人気で、それにあやかって「ふじ」は、アメリカや中国など海外でも作られ、今や世界一生産されている品種となっているそうです。

耳の不自由な子どもたちのリンゴもぎ事業は、そんな地域の誇りである世界一の「青森りんご」の生産現場を子どもたちに見せ、自分たちの手で収穫をして、そのおいしさを実体験してもらおうと始めたものでした。最初は県立盲学校を招待していましたが、盲学校の児童数減少により、3年前から県立青森聾学校を招待。聾学校小学部ではリンゴ狩りを学校行事の一つに組み入れ、子どもたちも毎年この活動を楽しみにしていると言っていました。

子どもたちは脚立を使って上の方になっているリンゴをもぐなど夢中で収穫。袋にいっぱいのリンゴを抱えて、学校へ戻って行きました。 

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