日本一の海岸美・北山崎を抱える体験型観光の先進地
地震の瞬間、地面が大きく揺れ、直後にズドーンという轟音と共に、背後に切り立つ断崖の一部が崩れました。岩の直撃は免れましたが、生徒たちは悲鳴を上げてうずくまり、身動き出来ない様子でした。しかし、のんびりしてはいられません。佐藤さんは、教師らと一緒に生徒たちを励まし、急峻な崖の上へと誘導しました。田野畑村に津波の第一波が到達したのは、地震発生から約40分後。彼らは間一髪で難を逃れることが出来ました。
田野畑村は岩手県の沿岸北部、三陸復興国立公園のハイライトとも言える景勝地・北山崎を抱える人口約4000人の村です。中心部は海抜200~300mの海岸段丘にあり、東日本大震災の津波被害からは免れました。しかし沿岸部の羅賀、島越は住宅の7割以上が全半壊となるなど、大きな被害が出ました。また、漁船の9割弱が流失し、漁業関係も大打撃を受けました。
佐藤さんが所属する奉仕団体では、震災後、国内外からの援助を受けながら、被災者支援活動を開始。村に給水車を寄贈したり、避難所にファンヒーターや電気毛布を持って行ったりしました。更に被災者が仮設住宅に移ってからは、灯油用ポリタンクの収納ケースを各戸に贈った他、仮設住宅の自治会に除雪機を提供するなど、被災者のニーズを把握しながら活動を続けてきました。また、ある程度月日が経ってからは、心のケアが重要だと、花や野菜の苗を植えたプランターを仮設住宅に配るなど、ややもすると閉じこもりがちになるお年寄りが、外に出て交流出来るような支援を心掛けていると話していました。
北山崎は、日本交通公社の全国観光資源評価「自然資源・海岸の部」で国内で唯一、最高ランクの特A級に格付けされています。高さ200mもの断崖に、太平洋の荒波洗う奇岩怪石、大小さまざまな海蝕洞窟と、ダイナミックな海岸線が約8kmにもわたって続き、名実共に日本一の海岸美を持つ景勝地です。そのため、放っておいても年間約50万人もの観光客が北山崎を訪れます。
しかし、それらは北山崎を訪問するだけで、宿泊は宮古市など、近隣の市町村に流れていました。そこで15年ほど前、観光客の滞在時間を増やすため、体験型プログラムを検討する協議会が村に発足しました。その中から、北山崎を海から観光するサッパ船アドベンチャーズや番屋ツアーなどが生まれました。佐藤さんが副理事長を務めるNPOがその中心で、併せて体験村・たのはた教育旅行受入協議会(会長:佐藤さん)を設置し、小中高生の民泊の受け入れも開始。震災前は、体験型観光の先進地として注目を集め始めていました。
震災では8艘あったサッパ船のうち6艘が津波で流失しましたが、 4月1日に青森県むつ市で中古の船5艘を購入。浜の整備も急ピッチで進め、7月27日からサッパ船アドベンチャーズを再開するなど、「震災も村の歴史の一部」と受け止め、いち早く観光復興に動き始めています。
田野畑村には、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』に登場した北三陸鉄道のモデル・三陸鉄道北リアス線が走っています。村に二つある駅のうち島越駅は津波で駅舎や橋脚が全て流失。長い間、北隣の田野畑駅と南隣の小本駅(岩泉町)間は不通のままでしたが、線路とホームを整備して2014年4月から全線で運転を再開し、6月には島越の新駅舎も再建されました。
『あまちゃん』ブームで、三陸鉄道には多くの観光客が訪れていました。そして三陸鉄道側も、お座敷列車やレトロ列車を走らせたり、カンパルネラの愛称で親しまれている田野畑駅に復興支援の桜の模様を描いたりと、さまざまな企画を打ち出し、積極的に観光客を誘致してきました。
また2017年頃まで、「駅‐1グルメ」という三陸鉄道と地元飲食店とのコラボ企画もありました。田野畑では、北川食堂(店主・北川政幸さん)の「5地層丼」がそれ。リアス式海岸の隆起した地層のように5層のご馳走が載っており、週刊誌にも取り上げられた名物料理「日替わり海鮮丼」と共に、村外からも客が来る人気丼となっています。
田野畑グルメと言えば、欠かせないのが乳製品。特に山地酪農牛乳(代表・熊谷隆幸さん)は安心・安全、そしておいしさを追求した究極の牛乳として高い評価を得ています。山地酪農の特徴は飼料や薬品を一切使わず、1年中、乳牛を放牧していること。その自然な営みの中から生み出された牛乳は、1リットル370円と少々高めですが、それだけの価値はあります。機会があったら絶対に飲んでおきたい牛乳です。
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