「四季奏でるまち」金山町の美しい風景

 

田屋の一本桜

金山町は、山形県北東部、町の東は秋田県湯沢市に接しています。江戸時代は羽州街道の宿場町として栄え、佐竹氏や津軽氏など諸大名が参勤交代の折に利用しました。旅人も多く、金山宿には本陣を始め旅籠や商家が軒を連ねました。明治の市町村制実施に伴い金山村になり、大正14年に町制を施行して以来、昭和、平成と合併することなく令和の時代に至っています。

最初に金山を訪問したのは、2014年のことでした。金山町田屋地区の、ため池の土手に植えられたシダレザクラを撮影するためで、この桜は、地元では「猪の沢のシダレ桜」と呼ばれていますが、カメラマンの間では「田屋の一本桜」の名で知られています。

「田屋」という地名は、あちこちにありますが、開墾した新田の側に建てた農舎兼住宅を指して、「田屋」と称したようです。金山町の田屋は、金山で最も古い商家・西田家が新田開発をした場所になります。

田屋の一本桜

西田家は、江戸中期の正徳年間(1711~1716年)に、大小二つの堤を築き、田屋地区などを開墾したとされます。この二つの堤は今も残っており、その一つ、猪の沢の堤に植えられているシダレザクラが、「田屋の一本桜」です。堤のほとりには、大正時代に建てられた「湖畔亭」と呼ばれる別荘もあったそうで、樹齢100年以上と言われる、この一本桜も西田家が植えたものでしょうか。

ところで、「田屋の一本桜」は、「東北・夢の桜街道」桜の札所の一つに選ばれています。

東北・夢の桜街道は、東北6県、東京都などの行政や公共交通機関、観光関連企業、信用金庫業界等による東日本大震災復興支援プロジェクトで、震災翌年からスタートしました。東北6県の桜の名所を「桜の札所」に見立てて八十八カ所を選定。これらを札所のように旅することで、復興を支援していこうという呼びかです。

きごころ橋
選定された桜の札所・八十八カ所は、桜前線のように南から北上。一番は三春の滝桜(福島県)で、八十八番は弘前公園(青森県)になります。更に4年後、震災直後はアクセスが困難だったため選定が見送られた、被災地の桜など20カ所が追加され、現在は百八カ所となっています。

その一つが、「田屋の一本桜」で、東北・夢の桜街道では、この桜を次のように説明しています。

「山あいの堤に凛として咲く一本のシダレザクラ。樹齢100年以上とみられ、枝一面に咲き誇る様はどの方向から見ても美しい。風のない時は、堤周辺の山々と共に美しい姿が水鏡に鮮やかに映し出され、『逆さ桜』として親しまれている。新鮮な空気と恵み豊かな自然に囲まれており、知る人ぞ知る桜の名所。『田屋の一本桜』に続く道幅は狭く、開花時期は多くの農業車両が通るため、マナーを守って花見を楽しむように」

私は、山形新幹線で終点の新庄駅まで行き、そこでレンタカーを借りて、田屋地区へ向かいました。新庄からは17~18km、30分弱で、現場に到着します。特に駐車場はありあませんが、ため池の近くに車が2~3台停められるスペースがあり、そこを利用させてもらいました。東北・夢の桜街道でも、駐車場の記載では「なし(2台程度のスペースあり)」としているので、撮影のため利用させてもらっても大丈夫なようです。

この撮影で、私としては、金山の撮影は一段落と思ったのですが、新庄へ戻る途中、金山の町中を歩いてみました。すると、家がとても立派なのと、あちこちに重厚な蔵や、錦鯉が泳ぐ用水路(大堰)、杉の屋根付き橋(きごころ橋)などがあり、とても魅力的な町であることを知りました。ただ、この時は、帰りの新幹線の時間が決まっていたので、ざっと見ただけで、金山を離れました。

金山町

が、その3年後、あることから再び金山に注目することになりました。

それは、金山のお隣・真室川町で、仮装盆踊りがあることを聞きつけ、2017年8月に取材に行った時のことでした。ちなみに真室川は、東京からだと山形新幹線で新庄駅まで行き、そこで奥羽本線に乗り換えて2駅、新庄からは15分ほどで到着します。仮装盆踊り大会は、その真室川駅前広場で行われるため、取材は駅周辺だけ、盆踊りが終わったら、宿を取ってある新庄駅までトンボ帰りする予定でした。

しかし、終了後、仮装盆踊りに参加したグループから、新庄までは車で送ってあげるから、と誘われ、駅前の居酒屋「半四郎」で、なぜか地元の踊り手の打ち上げに参加。そして約束通り、車で送ってもらいました。

その車中、真室川の話をいろいろ聞かせてもらう中、なぜか住宅の話になり、真室川の公営住宅は、コスト優先でハウスメーカーに委託しているが、隣の金山町は、技術を残すために、地元産の杉を使った在来工法で地元の大工が建てている。このように金山では、行政と町民が一体となっての町づくりが行われ、伝統的な町並みが残されている、と教えてくれました。

金山住宅

そこで3年前の記憶が蘇り、あの時に見た、立派な家々は、そうした町をあげての取り組みの結果なのだということを知ったわけです。そして翌年、今度は「街並みづくり100年運動」をテーマに、金山を取材することにしました。

金山町に足を踏み入れると、まるで中世ドイツの木組みの町並みを思わせる美しい木造住宅に目を見張ります。これらは真壁造りが特徴の金山住宅と呼ばれる、この地の伝統的な家屋です。しかも、真室川で聞いたように、新築住宅も伝統工法で建てられているため、外観だけでは新旧が分からず、非常に統一感のある家並となっています。

金山町では、1984年から「街並み(景観)づくり100年運動」に取り組んでいます。86年には「金山町街並み景観条例」を制定し、町内の家を金山住宅に誘導することで、街並みの整備を進めてきました。

大美輪の大杉

金山町は、町域の約4分の3を森林が占め、周囲の山には杉の美林が広がります。このうち樹齢80年以上の木を「金山杉」と呼び、金山住宅にはその木材が使われます。金山では、街並みづくり100年運動によって、木を植え育て、その木を切って使うという山里の循環が成り立っていました。金山の美しい町並みは、人々のこうした営みによって生まれたものでした。

この金山の取材では、江戸時代から続く日本有数の美林「大美輪の大杉」、金山杉がふんだんに使われた公営住宅、珍しい国産メープルシロップを作る「暮らし考房」、園での生活全てが山里の暮らしに結び付くよう考えられた認定こども園などを訪問しました。その中で、地域循環型社会の見本のような金山では、そこに暮らす人たちの中にも、地域循環の考えが脈々と息づいていることが分かりました。

メープルシロップ 楓の雫

ちなみに、取材とは関係ありませんが、金山では役場の近くにある「かねほ食堂」で昼食を取りました。私、大衆食堂が好きで、「田屋の一本桜」撮影の際にも気になっていたのですが、その時は時間が合わず、外観をスマホで撮っただけでした。で、2018年の取材時に、4年越しの入店となったわけです。

ネット情報では、タンタンメンが有名だとありました。自家製のラー油を使っていて、とにかく文句なしに辛いらしいのですが、なぜかまた食べたくなって、店に入ると注文してしまうという、やみつきになる味なんだとか。そして、かねほ食堂のご主人も、タンタンメン同様に有名で、地元では、「名物オヤジのタンタンメン」と呼ばれていたようです。

しかし、私は店の名を冠した「かねほラーメン」をオーダー。野菜たっぷり、あっさりめの塩味でした。勘定の時、具材のコーンがなかったから、と800円のところ500円にまけてくれました。超良心的な親父さんです。しかも、テーブルに「サービス品です ご自由にどうぞ」と書かれた紙コップがあり、中に入っていたLED付ボールペンをお土産にもらっちゃいました。親父さん曰く「フィリピンで作って送料込み1本66円」と。

そんな、「かねほ食堂」ですが、今年3月末をもって閉店してしまったそうです。1978年の開業から42年、「命ある限り、ラーメンをつくり続けます」と力強く語っていた親父さん、これも新型コロナの影響なんでしょうか。残念ですが、リタイアに関しては私と同期ってことに(笑)。「長い間、ご苦労様でした」。

取材記事→「町民と行政が一体となって取り組む、街並みづくり100年運動

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