苦節13年、豊かな森と日向灘の荒波が育てる高鍋の天然かき
高鍋のかきは、うまいらしい!
その情報が、私の頭にすり込まれたのは、2003年のことです。その年の10月、高鍋のお隣、川南町で取材がありました。
川南町は宮崎県のほぼ中央、日向灘に面した町で、青森県十和田市、福島県矢吹町と並んで日本三大開拓地に数えられています。入植の歴史は藩政時代からと言われますが、当時はまだ小規模なものでした。昭和初期でも、川南の人口は3000人ほど。それが戦後、一気にふくらむことになります。
太平洋戦争に突入した1941年、南方戦線での奇襲作戦に備えて空挺落下傘部隊が川南に創設されました。「空の神兵」と称えられた将兵たちの降下訓練が連日行われ、川南は軍都の様相を呈しました。
そして戦後、彼ら落下傘部隊の多くが、そのまま川南に残ると共に、川南で大規模な国営開墾事業が始まり、海外からの引き揚げ者が続々と入植して来るようになりました。人口は何と2万4000人に上りました。戦前の8倍です。これらの入植者は全都道府県に及ぶことから、川南は「日本の合衆国」と呼ばれるようになったそうです。
で、そんな川南での取材を終え、空港へ戻る際、取材をしていた場所からは、川南駅より一つ先の高鍋駅の方が近いから、と地元の方が、車で高鍋まで送ってくれることになりました。車中、高鍋は、天然かきで有名だと教えられました。飛行機の搭乗まで時間があったら、絶対に食べて行った方がいいとも。
とにかく、高鍋の天然かきは、濃厚な味わいとぷりぷりの食感で、そんじょそこらのかきとは全く違うとのこと。そこまで言われると、既に頭の中は、かき尽くし・・・。
で、駅に着く前から、目を皿のようにして、かきが食べられそうな店をチェック。しかし、努力のかいなく、駅まで、これぞという店は見つかりませんでした。
そこで、海は改札口の反対側にあることから、海の方へ歩いてみることにしました。で、ついに1軒、磯料理の店を発見。やった!と思ったのもつかの間、時間的に営業をしておらず、夜の営業では帰りの飛行機に間に合わないことが判明しました。
仕方なく駅へ戻り、列車の時間まで、駅前にあった「カルダン」というレトロな純喫茶で時間をつぶし、いつか必ず高鍋のかきを食べに戻って来るぞ、「I'll be back!」と誓ったものです。
そうして苦節13年、とうとう高鍋でかきを食べる時がやって来ました。そう、思い切りそのまま、高鍋の天然かきを取材することにしたのです。
しかも、高鍋のデータを集めている中で、私、とんでもない物を見つけてしまったのです。それは、花守山の巨大石像群です。
これは、5~6世紀頃に造られた大小85基からなる持田古墳群(国指定史跡)の盗掘に心を痛めた岩岡保吉さんという方が、古墳に眠る人々の霊を鎮めるため個人で土地を取得し、大分から招請した仏師に四国八十八カ所の石仏を彫らせ、山に配置したのが始まりだそうです。そして、自らも石仏造りを学び、生涯をかけて石像を彫り続けました。その数、実に750体。ネットで見つけた6m級の巨大石像は、岩岡さんが老年期に造ったもので、かなりの存在感を見せています。
ちなみに、2009年には「高鍋大師」として、宮崎県観光遺産に指定されています。
さて、そんなわけで、私は宣言通り高鍋を再訪し、念願の高鍋かきを食べることに成功したのでございます。この高鍋の天然かきは、基本的にむき身では出荷しないため、ここに来ないと食べられないという逸品。13年も待った私でなくとも、人を引き付けるに十分な味と希少価値なのであります。
取材記事→「児童福祉の父・石井十次のルーツを訪ねる - 高鍋」
牡蠣に対する執念を感じます。そんなにオススメの牡蠣食べてみたいですが、遠いんですよね、宮崎って。
返信削除石像はインパクトありますね。千手観音でもなく阿修羅像でもなく。
食べ物の恨みは・・・というぐらい、食べ物は人にとってなくてはならないもので・・・なんちゃって。でも実際の話、よっぽど悔しかったんでしょうね。我ながら驚きます。
削除石像はホント、インパクト抜群でした。で、私、こういうの、好きなんですよねえ。
宮崎はなかなか行く機会がないですね。嬉野以外では、高千穂と日之影に行っているんですが、実は宮崎空港からではなく、熊本空港から阿蘇を越えて行きました。
私は、昔行った日南の飫肥にもう一度行きたいのと、宮崎にある老舗のトリスバーに行ってみたいと思っています。いま、ブログでいろいろ振り返っていると、思い出すことがいろいろあって、今のうちに整理して、新型コロナが収束したら、それこそ、GoToしてみたいものです。