出雲くにびきマラソンの魅力


出雲市には何度か行っており、その度に出雲大社へも寄っています。寄っているというのは、厳密に言うと、出雲大社へ行きながら、お詣りしていない時もあるからで、その件については、ブログを改めますので、今は謎ということで・・・。

最近では、2016年と19年に出雲市を訪問しています。いずれも、出雲くにびきマラソンのためです。と言っても、私がマラソンに参加するわけではなく、参加される方、及び参加者をサポートする人たちを取材するためでした。16年の時は単独で、19年の時はカメラマンの田中さんと一緒でした。

16年も19年も、朝イチの夜行バスで名古屋から出雲市駅に到着する参加者の追跡取材のため、出雲へは前日の夜に入っていました。

16年の時は一人だったので、ホテルのフロントで聞いて、地魚を中心とした料理と、出雲一の地酒がそろっているという駅前の「山頭火」にしました。もともと家では、正月のお屠蘇以外、全くと言っていいほどお酒を飲まない私ですが、出張の際は、飲みに出ることもあります。で、どうせなら土地のものを味わいたいと、だいたいが日本酒を選択するので、フロントの方に勧められるまま、山頭火で食事をして、地酒を楽しんできました。


一方、昨年は田中さんが一緒だったので、少し店を探して駅の周辺を歩いてみました。田中さんとは年齢が近い上、子どもの結婚や孫の誕生なども、ほぼ同時期で、そうした話もお互い気兼ねなく出来るため、いつも長くなるのが常です。そこで、1軒で終わらせるか、2軒にするか、なども含めて、周辺のリサーチをするのが恒例となっていました。

とりあえず、前回行った山頭火があるので、余裕で町歩きをしましたが、いまひとつ、ピンと来る店がなく、結局、2周目に入って、ホテル裏の「錦」という店に入ることにしました。食事処となっていたので、ここでとりあえず腹ごしらえをして、物足りなければ2軒目へという作戦です。

入口近くのカウンターに10席ほどと、小上がりが数席あり、更に奥には広間もあるようですが、我々はカウンター席にしました。で、メニューを見ると、地の魚料理や揚げ出し豆腐、玉子焼きなどに交じって、オムレツやら牛テール煮込みやらが並んでいます。しかも、焼きそばや焼きうどん、丼物といった、食事メニューもあります。むむむ! 和食に洋食、その上に大衆食堂的な?

私と違って正統的な酒呑みである田中さんと一緒の時は、ビールから始めるのですが、この日もビールを頼んだ後、肴はとりあえずお造りで様子見としました。そして、頃合いを見計らって、メニューのことを聞いてみると、ご主人は大阪の新阪急ホテルの洋食にいたとのこと。聞けば、なるほどのメニューだったので、安心してオムレツと牛テール煮込みを注文してみました。

煮込みは、日本酒にも合うようにサッパリめにアレンジ。そこで、島根の地酒、豊の秋の純米吟醸に切り替えました。すると、ご主人が、豊の秋の立春朝搾りがありますよ、と教えてくれました。

立春朝搾りというのは、2月4日の深夜に搾り始めたお酒を早朝に瓶詰めしてその日のうちに販売する、究極の搾りたて。これは、「民族の酒・日本酒の伝統を守り、良質で旨い酒を愛飲家にお届けしよう」と活動する日本名門酒会の企画で、現在、立春朝搾りの参加蔵元は44軒。で、それらの蔵元の近くにある日本名門酒会加盟の酒販店でしか買えないお酒とのことです。


となれば、飲んでおきたいところなので、もちろんオーダー。それに、ご主人お薦めのニシ貝のつぼ焼きを頂いて、満足満足の出雲の夜でした。ちなみにニシ貝は、加熱調理しても固くなりにくく、食感もいい感じです。とある回転寿司では、サザエの代用品にしていたという噂もありますが、サザエのようなコリコリ感はなく、身は柔らかで、アワビには劣るものの、実はサザエよりおいしいという人もいます。

そう言えば、神戸でつぼ焼きというと、大貝のつぼ焼きのことだと聞いたことがあります。かつては、つぼ焼きの屋台が軒を連ねていたとも。で、この大貝のつぼは、実は大貝ではなく、ニシ貝だそう。ってことは、ニシ貝の中身はどうなっちゃってるんでしょうね。大貝のつぼ焼きの味と共に、そこも気になる私です。

 ◆

さて、翌朝は7時20分の夜行バス到着から密着取材。複数の参加者がいるので、会場までは田中さんと手分けをして担当。田中さんは、名古屋から参加する半谷展男さんに密着。私は、電車で到着する2人の女性ランナーを担当することにしました。


まず午前7時20分、前夜に愛知県・名古屋駅を出発した夜行バスが、出雲市駅に到着しました。降車場では、半谷さんのガイドヘルパーを務める竹下佳孝さんと鳥屋尾義明さんが待っていました。出迎えた二人が、受付までだいぶ時間があることを告げると、半谷さんは出雲大社への参詣を希望。3人は出雲大社で完走を祈願し、会場となる浜山公園へ向かうことになりました。

その1時間後、今度は電車で渡辺極子さん(安来市)と高橋恵理さん(松江市)が出雲市駅へ到着。それぞれ担当のガイドヘルパーが出迎え、初参加の高橋さんは小川道則さんと蒲生礼子さんが担当しました。大会当日、浜山公園の駐車場は一般車の乗り入れは禁止されますが、視覚障害者ランナーを送迎するガイドヘルパーには許可証が交付され、視覚障害者ランナーとその支援ボランティアのための専用控え室に近いスペースまでスムーズに入って行くことが出来ます。

視覚障害者ランナーの皆さんが参加する「出雲くにびきマラソン」は1981年、翌年に開催される島根国体(くにびき国体)の気運を盛り上げるために始まりました。500人強のランナーが参加した第1回大会以降、徐々に参加者が増え、第4回大会では1000人を突破。更に92年の第11回大会では2000人を超え、2353人の参加で開催されました。この第11回大会では初めて目の不自由なランナーが10kmコースに参加し、出雲市職員5人がリレー形式で伴走。これを機に目の不自由なランナーをサポートする市民ボランティア組織「愛走フレンズ」が結成され、翌年からは毎年10人前後の視覚障害者ランナーが走る大会となりました。


実は、この愛走フレンズ結成のきっかけとなったのが、名古屋から参加した半谷さんでした。

半谷さんは、二十歳(はたち)過ぎに失明。40代からランニングを始め、走力に自信が付いたところで、各地のマラソン大会に参加を打診するようになりました。が、「けがをされては困る」「対応出来ない」などの理由で断られることが多かったそうです。そのため出雲くにびきマラソンにも、ダメモトで参加を打診する電話を入れてみました。その時、対応に困った担当者は市長に判断を委ね、半谷さんの電話は市長室に回されました。

半谷「私は名古屋の者ですが、そちらのマラソン大会に参加したいのですが・・・」
市長「どうぞ、どうぞ。出雲くにびきマラソンには全国から参加されていますよ」
半谷「ただ私、目が全く見えないんです。よろしいですか」

市長は一瞬、言葉に詰まってしまいました。が、当時の岩國哲人市長は常日頃「弱い人の立場に立って仕事をするのが行政の役目」と標榜し、出雲市も障害者福祉都市宣言をしていました。そのため次の瞬間には、岩國市長は半谷さんに「分かりました。一緒に走れる人間を探してみましょう」と約束していました。市長は早速、担当課長を呼び、職員の中から伴走者を探してみてほしいと依頼。そして翌日、課長から報告がありました。


課長「市長、5人見つかりました」
市長「みんな10km走れるのかね?」
課長「いえ、誰も走れません」
市長「走れない人間が5人いて、どうなるんだ」

課長によると、伴走を申し出た職員たちは「一人2kmずつ走り、5人で力を合わせてサポートするので、ぜひやらせてほしい」と訴えたというのです。それを聞いて岩國市長は感動し、涙が出そうになったそうです。

>5人は決意通り、その日から練習を開始。1人が目隠しをし、伴走役がロープの片方を持って「坂ですよ」「右に曲がりますよ」と誘導しながら走る練習を続けました。そして92年の第11回大会には、半谷さんの伴走を交替で務める5人の姿がありました。出雲くにびきマラソンに、初の全盲ランナーが誕生した瞬間でした。

半谷さんは出雲市の配慮に感動し、所属する日本ブラインドマラソン協会に報告。すると翌年、目の不自由なランナー8人が大会にエントリーしました。更にそれを知った市民が立ち上がり「愛走フレンズ」を組織。「愛走フレンズ」は伴走を務める以外にも、ガイドヘルパーとして自宅や宿泊先、出雲市駅から大会会場への送迎、会場での出迎えや見送り、受付、荷物預かりなどを担当するようになりました。


会場到着後、視覚障害者ランナーはガイドヘルパーに伴われて受付を済ませ、控え室で伴走者と対面。一緒に開会式へ参加したり、設定タイムの打ち合わせをしたりしながら、それぞれのスタート時間を待ちます。また控え室では、ランナー同士で交流をしたり、以前に担当してくれた伴走者やガイドヘルパーとの再会を喜び合ったり、マラソンの他にも楽しみが多いようです。

「ここは3~4人が伴走を務めてくれたり、送迎や会場での世話など大勢の人が協力してくれたりして、いつも楽しみに参加しています。その上、事前に点字でさまざまな情報を送ってくださるんです。こんな大会は他にないですよ。私はもう十数回参加していますが、同じように毎回参加されている人の中に81歳の原益弘さんがおられます。私は今78歳なので、原さんのように80を過ぎても走れるように健康に留意し、85や90になっても、走れるうちはここに来たいと思っています」
と半谷さんは話していました。

また10kmコースに初参加した高橋さんは、設定タイムより大幅に早い時間で完走。
「走る前は緊張と不安でいっぱいでしたが、伴走者の方たちが自分を励ましながら周りを走ってくださり、本当に気持ち良く安心して走ることが出来ました。参加させて頂いて本当に良かったと思っています」
と話していましたが、その言葉や満足げな表情から、ランナー自身が初めての参加でも、経験豊かなガイドヘルパーや伴奏者が回りを固めてくれるため、安心して参加出来る大会になっていることがうかがえました。

コメント

  1. 出雲市の職員5名の話は岩國市長の心をおおきく揺さぶったんですね。

    神戸マラソンでもチャレンジドのランナーが伴走者と走る姿を見かけますが、決して速くないけど、伴走者が逆に引っ張られていたりして、思わず「ガンバレ‼️」と応援したくなります。

    今年はどこのマラソン大会も中止でランナーのみなさんはザンネンでしょうね。

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    返信
    1. くにびきマラソンも中止になりましたが、マラソンは寒い時期に行われるものがほとんどなので、この冬以降もどうなるか心配ですね。

      マラソンに限らず、目の不自由な方たちは、このコロナ禍で、いろいろ大変なようです。手で触って確かめることが多いのに、今はそれが出来にくい状況で。鍼灸師の方たちも、どうしても濃厚接触にならざるを得ないので、仕事が減っているようですし。

      削除

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