江戸城改修のために開設された青梅街道の宿場町

吉野梅郷

中央線沿線の小金井市で育った私にとって、青梅は、子どもの頃に遠足やハイキングで出掛けた思い出の場所です。青梅鉄道公園御岳渓谷など、よく弁当を持って出掛けたものです。

でも、一般には青梅と聞いて、すぐ思いつくのは青梅マラソンではないでしょうか。新参者の東京マラソンの影に隠れてしまった感がありますが、半世紀以上の歴史を誇る市民マラソンの草分け的大会で、毎年2万人近い市民ランナーが走ります。また近年は、2002~04年の長嶋茂雄さんを始め、瀬古利彦さん、高橋尚子さんなど、著名人がスターターを務めることでも知られています。

その舞台となる青梅は、1441(嘉吉元)年に市が開かれて以来、多摩川上流の流域集落として発達してきました。その後、江戸時代に入ると、新宿から甲府に通じる青梅街道(甲州裏街道)の宿場町として栄えました。

青梅街道を作ったのは徳川家康で、そこには成木・小曽木(青梅市北端)の石灰が関わっていました。家康は全国支配の覇権を確立すると共に、貧弱だった江戸城の大修築を計画しました。この時、白壁用に大量の石灰が必要だったため、青梅からの石灰運搬用に青梅街道が開設されたわけです。

旧稲葉家住宅
旧稲葉家住宅(東京都有形民俗文化財)

江戸城改修が行われた慶長年間(1596~1615)には、「白土御用」の旗を立てた荷車が、延々と江戸まで連なったと言われます。更に江戸城完成後も、商家の土蔵の白壁を飾って需要は尽きず、このために青梅街道は「白粉道」とあだ名されたほどでした。

その後明治に入ると、石灰は交通の便の良い日向和田付近に移って生産されるようになりました。1894(明治27)年には、青梅鉄道(現在の青梅線)が敷かれましたが、これも最初は、旅客の輸送よリ石灰を運ぶのが目的でした。

そんな青梅の石灰ですが、今も若干の生産は行われているものの、昔の隆盛を見ることは出来ません。現在の青梅は、多摩川上流の御岳渓谷を中心とした、都民の行楽地として有名です。そして、青梅街道にしろ、青梅線にしろ、通勤・通学や観光の足としての役割の方が、完全に強くなっています。

青梅街道は、青梅駅付近から、多摩川に寄り添うようにして西へ走るようになります。ちょうどこの辺リは、古い民家や陣屋跡などが街道沿いに残り、宿場町としての面影を伝える所でもあります。また陣屋跡そばの金剛寺には、青梅の地名の由来とされる「将門誓いの梅」があります。

吉野梅郷
「昔、平将門が、『我が志成るものなれば根づけ』と言って、馬のムチにしていた梅の小枝を地にさしたところ、花が咲いたので、喜んでこの地に寺を建てた。が、志は破れ、実は青いままで熟さない」という言い伝えが残っています。この梅は、一種の突然変異という説もあれば、食用に品種改良する前の原木ではないかという説もあり、確かなことは分かりません。しかし、分からないながらも珍しいということで、東京都の天然記念物になっています。

その後、青梅はその名に恥じない梅の里となり、関東一の梅の名所と呼ばれるほどになりました。特に吉野梅郷には、2万5000本もの梅が植えられ、3月になると、紅白の花を咲かせ、辺り一面、ふくよかな香りに包まれていました。

しかし2009年、モモやスモモなどの農作物に甚大な被害を与えるウメ輪紋ウイルス(プラムポックスウイルス)の感染が、梅の木としては世界で初めて吉野梅郷で確認されました。これに対して、毎年、感染木の処理が行われていましたが、最終的には2014年に全ての梅の木が伐採されてしまいました。

その後、梅の復活を望む声が強く、2017年から再植栽がスタート。4年目を迎えた現在、吉野梅郷には1200本の梅が植えられています。そして、春には花を咲かせるようになり、開花に合わせて「吉野梅郷梅まつり」も開かれるようになりました。元の姿に戻るには、まだまだ時間がかかるでしょうが、関東一の梅の里の復活に期待したいものです。

青梅宿から更に西へ、多摩川沿いに青梅街道をゆくと、御岳山への登山ロでもある御嶽駅に出ます。この辺リの多摩川は、御岳渓谷と呼ばれ、その景観は、ここが東京であることを忘れさせるほどです。

渓谷沿いには遊歩道があリ、休日など家族連れの行楽客でにぎわいます。その遊歩道の途中、ちょうど多摩川を挟んで御嶽駅の反対側には、日本画の大家・川合玉堂を記念して建てられた玉堂美術館があります。

玉堂は若い頃から奥多摩の自然を深く愛し、よく写生に訪れていたといいます。昭和19年には東京・牛込から御岳に疎開し、ここを永住の地としました。杉木立に囲まれた館内には、玉堂の作品が数多く展示され、また竜安寺の石庭を模した庭も、御岳渓谷を借景にした一幅の絵となっていて、とてもきれいです。

※青梅の市街地は、昔懐かしい邦画や洋画の映画看板で彩られ、当時の生活雑貨を集めた昭和レトロ商品博物館もあります。

コメント

  1. 春の訪れを知らせる梅の花と、その香りはいいものですね。
    なんとも風情があります。青梅市の位置関係もわからない私ですが、御岳山の名だけは知っています。景観美豊かな渓谷の一部を利用して花崗岩を攀じるボルダリング(クライミング)が行われているようですね。筆者が東京出身とは初めて知りました。

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    1. 生まれは新宿なんですが、小さい頃に小金井に引っ越し、結婚するまで暮らしていました。そのため子どもの頃は青梅線や五日市線に乗って、多摩川や秋川でよく遊んでいました。

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  2. 生まれが新宿、てやんでえべらぼうめぃ! 「宵越しの金は持たない」「五月の鯉の吹流し」などと言われる江戸っ子なんですか? イメージが湧きません。

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    1. 本籍・渋谷、新宿生まれの小金井育ちなんで、自分でも江戸っ子感覚は全くもってありません。。。遊びも子どもの頃は奥多摩、中学時代が吉祥寺、高校は渋谷、大学は主に新宿で、下町にはほとんど足を踏み入れたことがございません。

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