北の比叡山・杣山のふもとに広がる花ハスの里 - 南条
南越前町は、2005(平成17)年に、今庄町、南条町、河野村が合併し発足しました。福井県のほぼ中央にあり、近畿から同町以北の北陸地方へ入る際、必ず通らなければならない交通の要衝となっています。
このうち旧南条町は、東西を山に挾まれ、町の中央を日野川が流れています。町の東北には越前富士と呼ばれる日野山が、南東には南朝の忠臣瓜生保が居城した杣山があります。杣山は、古くは北の比叡山とも呼ばれ、平安時代には山麓から山頂にかけて多くの僧坊が並び、杣山三千坊とうたわれました。
その杣山のふもとに、今、ハスの畑が広がり、夏になると淡いピンクの花が咲き誇ります。この畑は、よくある蓮根用ではなく、花をとるために作られたものです。
南条で花ハスの生産が始まったのは1973年。減反で空いた田圃を活用することを目的にスタートしました。最盛期には、栽培面積15ha、全国の約7割となる12万本の花ハスを出荷していました。
近年は、生産者の高齢化もあり、若干規模を縮小していますが、それでも7戸の農家が南条蓮生産組合に加入し、栽培を継承。7、8月のお盆には、全国の約6割、7万本の花ハスを全国各地へ出荷しています。
ハスと言えば、一般に仏花として扱われます。『枕草子』には、「はちすは、ようつの草よりもすぐれてめでたし。妙法蓮華のたとひにも、花は仏に奉り実は数珠に貫き、念仏して往生極楽の縁とすればよ。また花なきころ、緑なる池の水に咲きたるもいとをかし」
とあります。「はちす」は、ハスの古名。既に平安時代、ハスが仏教と深く結びついていたことが分かります。
インドの仏典などを見ても、ハスの花がよく出てきます。母親マーヤがブッダを身籠もった時、地中から一本のハスが出て、花が咲き出す。あるいは母親の右腹から生まれたブッダが歩くと、大地が割れてハスの花が咲き出す、といった記述があります。
また、「水中に生まれて、良い香りがあり、愛すべき白いハスが、水のために汚されず成長するように、ブッダが世間に生まれ住み、世間に汚されないのは、赤いハスが、水に汚されないようなものである」という意味の弟子の詩もあります。
つまり、ブッダをたたえる本質がハスにあるということで、更にブッダの入滅後、ハスはますます出世します。ガンダーラで生まれ、仏教の教えと共に広がった仏像の台座に蓮台としてハスの花が欠かせないのも、インドの仏典で、ハスが象徴的に扱われたからでしょう。
平安以前の日本では、ハスは明るいカラッとした花と見なされていました。宮中行事として観蓮会も開かれ、夏の早朝、池畔のハスの花と葉に宿った露の玉を眺め、清談の一時を過ごしたとされます。『万葉集』に出てくるハスにも仏教臭はなく、ハスの花を美女に見立てたり、色っぽいイメージさえありました。
それが平安期に入ると、にわかに仏教臭を帯び、『枕草子』にあったような仏教的ハス観が定着します。そのため、一般にハスは仏花だと敬遠する人が多いようです。が、古人にならって花を愛でても、ばちは当たりません。東京・上野の不忍池では、今も毎夏、観蓮会が開かれます。
※南越前町には、世界の花ハス約130種が見られる鑑賞蓮園や、蓮見台などを持つ「花はす公園」があります。7~8月にかけては、「はすまつり」が開催され、花ハスをテーマにしたイベントが繰り広げられます。
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