山国・信州の水産加工 - 八ケ岳山麓寒天物語


大学時代、ホテル研究会というサークルに入っていました。サークルに入ったのは、完全に魔が差したというか、まんまと釣られたというか、とにかく、何かの志があって入部したわけではありませんでした。

ただ、仲の良かったクラスメイト2人が一緒だったことと、同期入部の13人が全員男で、男子校的ノリが心地良かったこともあり、そのまま居続けました。そして、自分たちが幹事団を結成する3年の時、何がきっかけか思い出せませんが、「学生ロッジ」建設プロジェクトに取り組むことになりました。

建設候補地は、長野県の原村。八ケ岳山麓にある高原の村で、その頃、ペンションビレッジなども出来、夏の避暑地として、少しずつ注目を集めていました。

私たちは、現地調査のため、よく原村のペンションに泊まって、聴き取り調査をしたり、ロッジの候補地や周辺環境を調べて回りました。また、法学部の部員を中心に、土地の貸借契約についても調べ、運営形態なども含めて、実際に即した形で検討をしていました。

原村までは、いつも中央自動車道を使い、諏訪湖ICから入っていました。一方、鉄道利用の場合は、新宿から特急に乗り、茅野まで2時間弱。ロッジ建設予定地は、茅野駅から10km強の距離にありました。当然、現地調査では、鉄道利用の主要駅である茅野駅でも、月ごとの乗降客数や原村へのアクセスなどを調べました。

新宿から中央線の特急に乗り、山梨県から長野県に入ると、車窓右手に八ケ岳連峰の雄姿が見えてきます。冬には雪を被った峰々が、いかにも信州らしい風景を見せてくれます。やがて列車が茅野駅に近づく頃、今度は左手の車窓に展開する景色が、旅客の目を奪うはずです。

白いジュータンを敷き詰めたようなその光景は、信州の冬の風物詩・寒天の凍乾風景です。

最近、寒天が一大ブームを巻き起こしたことがありました。あまりの人気に、一時、店頭から寒天が消えてしまったほどです。

火付け役は、イギリスの国際的な医学雑誌に掲載された横浜市立大学医学部の研究報告でした。それは、糖尿病患者を二つのグループに分け、一方のグループだけ、食前に寒天を摂取してもらったところ、血糖値が低下。更にコレステロール値から血圧、体重、体脂肪まで減少したというものでした。

これをNHKの情報番組が取り上げ、次いで民放も健康やダイエットをテーマにした番組で寒天を特集。こうして、大ブームが巻き起こったのです。

寒天の原料はテングサ、オゴノリなどの海藻類。これを煮溶かし、ろ過して凝固させると、ところてんが出来ます。このところてんを角形に切って、自然凍結、融解、天日乾燥させたものが角寒天で、冬期にのみ天然生産されます。

長野県は角寒天では全国約9割のシェアを占め、寒天の凍乾風景は、信州の冬の風物詩として定着しています。茅野はその中心で、冬の最低気温が氷点下10度前後、日中には気温が上がり、雪の少ない乾燥した気候が、良質な寒天作りに最適の条件となっています。

『魏志倭人伝』は、邪馬台国や末盧国の住民が、海藻を食べていたことを興味深げに記しています。平安時代の『延喜式』には、京都の市に「心太」を商う店が出てきます。「心太」と書いて、今はところてんと読みます。が、平安時代のその店がところてん屋かと言うと、事はそう単純ではありません。

心太の字は奈良時代から既に使われているのですが、『和名抄』では、心太は凝藻葉の俗称として出てきます。凝固する海藻、つまりところてんの原料になるテングサなどの海藻をさしていたようです。そのため、平安京の店は、テングサ屋だった可能性もあります。ただ、同じ市に海藻の店もあることから、1000年以上も前にところてん屋があったという説も捨て難いところです。

いずれにせよ、藻を凝固させて、つまりところてんにして食べる習慣は、非常に古くからあったわけです。ところで、ところてんは中国から製法が伝えられたものですが、寒天自体は日本のオリジナル。それは、全くの偶然から生まれたものでした。

江戸時代、京都・伏見の旅館・美濃屋の主人美濃屋太郎左衛門さんが、島津藩主の食膳に出したところてんの残りを外に捨てたところ、冬の寒さで氷結。それが日差しを受けて解け、日を経て乾燥しました。それを見た太郎左衛門さん、はっとひらめいて、ところてんの干物、つまり寒天の製法を思いついたというわけです。

信州・茅野に伝わったのは、今から150年ほど前。現在は茅野市になっている玉川村の小林粂左衛門さんが、行商で関西に出かけた際、寒天と出会いました。粂左衛門さんは、寒天問屋に奉公しながら製法を頭に入れ、故郷に持ち帰りました。そして偶然ながら、茅野の気候が寒天製造に最適であったため、寒天作りは農家の副業として急速に広まったのです。

寒天凍乾場となるのは刈り入れ後の田んぼ。ほこりを防ぐため地面にわらを敷き、周囲にはかやを張ります。寒天を干し板の上に並べる際は、凍りやすくするため隙間を空け、障子の桟のように区切られた囲いの中に、ところてんを1本ずつ並べていきます。そんな干し板が、何千枚と並ぶ様は壮観です。

コメント

  1. 学生ロッジはどうなったのかと読み進めたら、最後の最後まで結果が出てこなくて、まさに心太の如く掴み所が分かりませんでした😆

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    1. 土地の問題が解決出来そうもなく、ポシャりました。。。結構きちんとやったので、報告書は作って、大学の何かの冊子に掲載されました。その冊子を持っているはずなので、引っ張り出して、ブログに入れようと思ったんですが、あると思われる場所が3階のロフトで、今は暑くて、作業をする気になれず、そのまま終了しました(笑。

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