降る雨を瀬戸内と日本海に分ける水(み)分かれの町
「デカンショ節」のせいか、丹波と言うと、どうも山奥のイメージがあります。しかし、丹波市の氷上町には、そんな感じは全くありませんでした。確かに、三方が山に囲まれてはいますが、みな背の低い山ばかり。いわゆる盆地で、川の流れもゆっくりでした。
古代の丹波は但馬、丹後も含む、広大な地域を表していました。それが、奈良時代に分割され、丹波は桑田・船井・何鹿(いかるが)・天田・氷上・多紀の6郡になりました。その後、明治時代の廃藩置県で、氷上と多紀は兵庫県に、残り4郡は京都府に編入されました。
氷上郡6町が合併して誕生した丹波市の中心・氷上町は、本州一低い中央分水界の町として知られます。中央分水界は日本列島の太平洋側と日本海側の境界で、北から南まで、まるで背骨のように走っています。その分水界が、氷上町では海抜100m前後で形成されています。そのため、町内を流れる高谷川は瀬戸内海へ、黒井川は日本海へ注ぎます。
稲畑人形の代表作「天神」 |
しかも、氷上町には真北と真南を結ぶ「子午線」が通っており、子午線上に建つ家では、理論上、雨が降った時に北側の屋根の雨水は日本海へ、南側の屋根の雨水は瀬戸内海へ注ぐことになります。ミーハーの血が騒ぎますねぇ。
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日本では昔から、全国各地で土人形が作られてきました。それらの源流と言われるのが、京都の伏見人形です。江戸後期に全盛を極め、文化・文政の頃(1804~29年)には、伏見稲荷の参詣路である伏見街道沿いに、50戸もの窯元がありました。
この伏見人形の影響を受けて誕生した人形の一つに、江戸末期、沼貫村(現・丹波市氷上町)稲畑の赤井若太郎忠常がつくり始めた稲畑人形があります。若太郎は稲畑の庄屋である赤井家の長男として生まれ、元服の祝いで京都見物へ出掛けた折、伏見人形と出合いました。
稲畑で土人形をつくり、地場産業に出来ないかと考えた若太郎は、父の許しを得て、伏見から人形勝という職人を呼び寄せました。そして、自らも寝食を忘れて型づくりに励み、今日、稲畑人形の代表作と言われる「天神」を始めとした型を完成させました。更に、近隣の農家の指導も行いながら、地域ぐるみで人形制作を始めました。
弘法大師開基の岩瀧寺(兵庫県観光百選)
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当初は7軒が人形づくりに関わり、農家の副業として定着するかに見えました。しかし、日清・日露戦争により、赤井家を除く家は、みな一代限りで人形制作をやめてしまいました。そんな中にあって、赤井家では初代が92歳まで人形の目を描き、3世代が一緒に人形を制作していた時期もありました。その後、1958(昭和33)年に3代目の他界と共に一時途絶えましたが、 4年後に3代目の妻みさ代さんが復活させ、今はその娘君江さんが継いでいます。
君江さんの代になってからは「天神」の他、土人形の源流伏見人形を代表する「まんじゅうくい」や、「舞姫」など、オリジナルの型つくりにも意欲的に取り組んでいます。しかも君江さんは、着物の柄や色など、一つひとつ異なった彩色をしています。取材を終え、機材をしまっていると、君江さんが、「まんじゅうくいを一つ選んでください。気に入った顔の子を差し上げまずから」と声を掛けてくれました。
よく見ると、同じ人形でも、一つひとつ表情が徴妙に違います。長く小学校で教鞭をとっていた君江さんは、かつての教え子の顔を思い浮かべながら、人形一体一体に愛情を込めて描いているそうです。
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岩瀧寺の奥にある独鈷の滝(ひょうご風景百選) |
氷上を始めとする丹波地方には、うまいものが多くあります。丹波栗に丹波黒豆、丹波大納言小豆、丹波山芋・・・。全て「丹波」ブランドが付きます。
そんな、うまいものだらけの丹波の食材を使い、安全で安心な食品づくりに努めているグループがあります。元気印おばあちゃん集団「つたの会」です。
1993年に三つの生活改善グループが一緒になって誕生しました。96年には氷上町立地方卸売市場の一角を町から借り受け、独自の加工所を開設。この時、自分たちに責任を持たせないといけない、と仲良しグループからの脱却を目指し、会員から出資金を募りました。結果的には会員20人で80万円が集まり、本格的に事業をスタート。
佃煮、漬物づくりを手始めに、徐々に品数を増やしてきました。また町内でイベントがあれば必ず出店したり、野菜をつくるグループ「とれとれ市」ともタイアップしたりして 、販路を広げてきました。そして、「科学的な添加物を入れない」をモットーに弁当や加工品づくりを続けてきた結果、今では「つたの会の弁当は、しょうみ(丹波弁で本物)の弁当や」と言われるようになっています。
つたの会加工所:丹波市氷上町石生2077-1 兵庫魚菜市場
*北近畿豊岡道氷上インター近くの「ひかみ四季菜館」で、つたの会の日替わり定食が食べられます。
イヨッ\(; ゚∀゚)ゝ待ってました😃
返信削除氷上郡六町の合併時に市名の論争があったようですが、丹波市が公募で決まった経緯がありますが、兵庫県民の私に取って丹波と言えば酒の杜氏さんやデカンショ節の丹波は、篠山になります。
その篠山市も昨年住民投票で丹波篠山市と名称変更をしたため、ますます丹波が複雑になりました。
竹内正浩氏が平成の大合併で誕生した各地の地名を考察した著書『日本の珍地名』の中で「京都府をはじめ全国的な反発を買ったという“事件”」と評価しています。(Wikipediaより)
丹波国はもっと広い地域で福知山あたりも丹波と名乗れるわけです。
そう言えばNHK大河ドラマ 麒麟が来るの明智光秀にも縁の場所ですが、ようやく麒麟が帰って来るようですね。
伊賀忍者と同じで、丹波と言えば篠山のイメージになるわけですね。関東にいると、丹波というと山のイメージはありますが、どちらかと言うと、京都の方かと思っていました。
削除新型コロナのせいで、危機麒麟になっちゃってましたが、ようやく帰って来ますか。でも、だいぶは急がないと、本能寺の変までいかないのでは?