自然豊かな伊賀の隠れ里 - 名張
荷担滝 |
「伊賀」という言葉を聞いて、まず思い浮かべるのは忍者です。私の場合、子どもの頃から、伊賀イコール忍者と連想していたように思います。『少年サンデー』に連載されていた「伊賀の影丸」辺りが、そういうすり込みの元になったのかもしれません。
ただ、取材を計画した名張が、忍者の里だとは思っていませんでした。伊賀忍者の名前があまりにも強く、忍者と言えば、お隣の伊賀しか頭になかったのです。
そのため、取材に同行して頂いた方たちから、百地三太夫の屋敷があるけど寄りますか、と聞かれても、とっさに返答出来ませんでした。ところがどっこい、伊賀忍者の祖とも言われる百地三太夫(百地丹波)は名張の人で、現在も子孫の方が住んでいるというのです。
百地三太夫と言えば、伊賀忍出身のアウトロー石川五右衛門や、講談や立川文庫の世界では真田十勇士の一人霧隠才蔵の師ということになっています。ちなみに、水戸黄門に出ていた風車の弥七も伊賀・名張の忍者で、元義賊という設定だったようです。
現在、プロゲーマーとして活動する百地祐輔さんも、百地一族の末裔とされています。実家のある愛媛県西予市の祖母の墓には、三太夫と同じ「七曜星に二枚矢羽根」の紋が刻まれているそうです。
百地三太夫屋敷 |
そんな忍者たちが修行をしたと言われているのが、赤目四十八滝です。四十八というのは、数が多いという意味らしく、相撲の四十八手と同じことのようです。特に有名なのが「赤目五瀑」と呼ばれる五つの滝で、中でも「荷担滝」が、赤目四十八滝の最高峰と呼ばれています。
ところで名張は『日本書紀』には「夜半に及びて隠の郡に到り……」と書かれ、「隠」の文字が使われています。古語の「隠(なばり)」に由来するもので、名張が山間の底に隠れて目立たないことから、そう呼ばれたのではないか、と言われています。
日の当たらない谷間の渓谷は、そんな隠れ里の雰囲気を保ち、今にも岩陰や木立の陰から、カムイや影丸が、飛び出してきそうな錯覚を覚えます(ハットリくんでは、いけません)。
伊賀忍者の携帯食だった「かたやき」 |
実は名張へ取材に行った当時、大学時代の友人が地銀の名張支店におり、夜、一緒に飲みました。ある時、その彼から携帯にメールが入りました。
友:「お元気ですか! 3月中下旬頃大阪方面に来る予定ないの?」
私:「行かないよ。来月は富山と福岡の予定」
友:「連休中、1日くらい大阪に行くんで君をだしにするつもりだ」
私:「・・・」
友:「2日くらい大阪に来ることにするかな」
私:「へいへい。お好きに」
友:「そんな無責任な。回答メールは3月19日か24日に大阪で会おうとメールがくることだよ」
私:「はあ? メール見せるの?」
友:「見られてもいいように、本人もそう思えるようにしておかないとね」
私:「じゃあ、3月19日か24日に大阪で会おう」
友:「了解、お世話になります」
ひやわい |
やれやれ、と思いながら、その時初めて、名張から大阪までは近鉄特急で1時間弱だということを知りました。それは今に始まったことではなく、名張は大坂・大和と伊勢を結ぶ初瀬街道の宿場町として栄えました。また、名張藤堂家の城下町でもあり、そんな歴史を感じさせる家並が、今も多く残っています。
特に、町の中を流れる城下川と、「ひやわい」と呼ばれる細い路地が、何とも言えない情緒を、名張の町に与えています。
城下川はかつて堀として、また用水路として使われ、名張の町中を網の目のように流れています。上水道が整備されるまでは、野菜を洗ったりしていたようで、中には家の下を流れているものもありました。あちこちにある「ひやわい」を抜け、水路をたどるのも面白い町歩きになります。
「ひやわい」とは「ひあわい」が転訛したもので、漢字で書くと「廂間」となります。文学などでお目にかかる以外は、死語に近い言葉ですが、名張ではまだ現役で使われています。このまま残してほしい言葉です。
名張の町中を歩いていて、もう一つ、目に付くものがあります。「伊賀まちかど博物館」と書かれた看板です。
三重県には、まちかど博物館と呼ばれる一種の町おこし事業があります。最初は1993年に、伊勢の町おこしグループが始めたものです、個人宅や仕事場を開放し、コレクションや伝統の技、手仕事などを見せてくれます。今は県内に11カ所の「まちかど博物館」があり、そのうち伊賀まちかど博物館は全体で105館、名張だけで32館があります。
赤影は伊賀?甲賀?と思いましたが、どちらも違ったようです。飛騨の忍者赤影ですね。
返信削除伊賀が忍者の里=赤影と刷り込まれていたみたいです。伊賀の影丸は全然記憶がありません。
伊賀は三重県、甲賀は滋賀県は知ってましたが、甲賀は「こうが」ではなく「こうか」と言うことを知ったのはついこの間です。
「がってんがってん、しょ〜ち!」(笑)
そう言えば、子どもの頃、忍者部隊月光というテレビドラマがありました。検索したら、伊賀と甲賀の末裔により編成されたという設定だったようです。
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