周山街道沿いに林立する北山杉の美林

北山杉

大学2年の夏休み、第2外国語でとっていたスペイン語の単位ほしさに、教授が企画した琵琶湖のキャンプに友人と3人で参加しました。教授が授業を持っていた各大学の学生を集めた合同キャンプで、我々は「これに参加すれば『優』は確実だ」との下心を秘めての参加でした。

愛知出身の友人は、実家から直接行くというので、もう一人の友人と私は、行きは東名、帰りは中央道と、車で寄り道をしながら行くことにしました。直前になって先輩の一人が、徳島の実家へ帰る途中、京都の親類の家に寄って行きたいから乗せていけ、と言ってきたため、ついでにその先輩も乗せ、京都経由で行くことになりました。

あちこちで遊んでいたため、京都に着いたのは2日目の夕方でした。勧められるまま、先輩の親類宅で晩ご飯をご馳走になり、夜もだいぶ遅くなってから、琵琶湖のキャンプ場へ向かうことになりました。

ナビなどない時代なので、道を教えてもらうと、「簡単だよ。大原を抜けて行くといい。ただ、三千院の少し先で右に曲がらなくてはいけないんやけど、そこを間違うと日本海まで行っちゃうから気をつけるんだよ」と。

なに、大したことなかろう、と走り始めたのですが、当時の大原辺りは真っ暗闇です。お化けでも出そうな雰囲気で、ヘッドライトに浮かび上がった白い洗濯物に、二人して悲鳴をあげる始末。それでも、ガソリンの残りが乏しかったこともあり、分岐点を見逃すまいと、必死で運転をしました。

結局、無事にキャンプ場にたどり着きましたが、この時走った大原の先の分岐点(「途中」という地名だったと思います)までの道が、京と若狭を結ぶ若狭街道(国道367号)でした。

東西に長い若狭からは、古来、いくつもの道が畿内に向かって延びていました。昔、若狭の行商たちが、若狭湾でとれた鯖に一塩し、一昼夜かけて都へ運搬。京に着く頃に、ちょうどいい塩加減になり、都で珍重されたということで、これらの道は総称して鯖街道とも呼ばれます。

そんな京と若狭を結ぶ道の一つに周山街道があります。ほぼ現在の国道162号に沿っており、途中には、見事な杉の美林が見られます。磨き丸太で知られる北山杉です。川端康成は『古都』の中で、その辺りをこう書いています。

「清滝川の岸に、急な山が迫ってくる。やがて美しい杉林がながめられる。じつに真直ぐにそろって立った杉で、人の心こめた手入れが、一目でわかる。銘木の北山丸太は、この村でしか出来ない」

京都盆地を囲む山々のうち、北の諸山は東山、西山に対して北山と呼ばれます。その北山のふもとから流れ出る清滝川沿いに、磨き丸太に代表される北山林業が発達しました。

『古都』の一方の舞台となったのは、中川村(現在の京都市北区中川)で、ここが北山杉の古里です。北山杉は茶の湯の流行と共に、茶室に用いられたのが始まりとされ、600年の歴史があります。

数寄屋建築に欠かせない、元も末も同じ太さの長い丸太を作るために考案された栽培方法です。少し無理ではないかと思えるほどの強度の枝打ちによって生長を抑制し、同じ太さで節のない真っ直ぐな柱材を作るのです。京という都が消費地として控えていたことも、北山杉を洗練された、工芸品とも呼べる丸太に育て上げた要因でしょう。

磨き丸太は、主に床柱に使われます。昔はつるりと丸い柱が主流でしたが、中に突然変異でしわが寄ったような木や、幹にこぶのようなものが付いた木が出来ました。これらは天然絞りと呼ばれ、挿し木をすると同じものが出来るそうです。

また、絞りを人工的に作る方法も徐々に確立されました。杉林の所々に白い木、赤い木、黄色い木が姿を見せます。これは杉の幹にネットがかけられているもので、中にはプラスチックの細い棒が入っていて、これが人工的な絞りを作り出します。が、人工絞りでも巻くタイミングや巻き方の強さ、取るタイミングなど難しく、人それぞれの技法があるのだと聞きました。

木を切っては植え、丹精込めて手入れをする。自然との微妙な対話の中で生まれた日本古来の木の文化の典型を、この北山杉に見ることが出来ます。その意味で、林相の美しさと共に、北山杉は日本を代表する森林と言えるでしょう。

 ◆

北山杉の古里・中川から周山街道を少し北に行くと、旧京北町(現京都市右京区京北)の中心・周山に出ます。ここには、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で話題の明智光秀が築城した周山城の跡が残っています。

この旧京北町にも、北山杉の美林が広がっています。京北は、もともと北山丸太の原木と労働力の供給地でした。中川の北山杉も、旧京北町山国などの杉の苗を植林して、出来上がったものでした。

『古都』が書かれた昭和30年代後半から、京北でも磨き丸太の生産業者が増えてきました。それまでは、中川付近以外では、製品を作ることが許されていなかったそうです。が、既に枝打ちや丸太磨きの技術を持っていただけに、京北で製品作りが始まると、すぐに、中川に負けない品質の丸太が生み出されるようになったようです。

京北から更に北へ行くと、非常に美しい景観を見せる旧美山町(南丹市美山)に着きます。美山は、その名の通り美しい山々に囲まれています。地域には今も多くのかやぶきの民家が現存し、「かやぶきの里」と呼ばれています。

コメント

  1. スペイン語はもちろん優だったんですよね?

    途中で面白い地名ですね。まさに旅の途中。

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    1. うちの大学、というか、その中でもうちの学部だけみたいですが、優の上の秀がなく、優にカッコが付く、(優)=カッコ優というのが一番上でした。で、我ら3人、全員(優)でした。狙い通りです。

      削除
    2. (優)があり、またその上に秀なんですか!秀のもうひとつ上は(秀) (笑)

      うちの大学はシンプルに優良可不可だけでした。

      削除
    3. 秀の代わりが(優)でした。他の学部の友人に聞いたら、他はみな秀が一番上でした。ただ、就職などの時に提出するものには、(優)も秀も、優扱いだったようです。

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