繊細さと雄大さを併せ持つ上高地の風景
上高地を流れる梓川沿いの小さな岩壁に、イギリス人宣教師ウォルター・ウェストンのレリーフが埋め込まれています。毎年6月、ここでウェストン祭が開かれ、多くの人が集まり、花を献じ、山の歌を合唱します(※今年は新型コロナ感染拡大の影響で開催が中止されました)。
ウェストンは1889(明治22)年の初来日以来、3回、延べ13年間にわたって日本に滞在しました。1891年に上高地から槍ケ岳に登ったのを始め、日本の山岳の開拓的登山を試み、1905年には彼の勧めで日本山岳会が設立されました。彼に刺激を受け、日本の登山者も山を目指して上高地を訪れるようになります。そして上高地は絶好の登山基地として注目を集め、日本の近代登山発祥の地と言われるようになりました。
それ以前の上高地は秘境と言ってもよい土地でした。が、歴史は意外に古いようです。梓川の川岸に川の名のもととなった弓の良材アズサの木が、カラマツと高さを競うように林立しています。古文書には大宝年間(701~703)に信濃の国から梓弓が朝廷に献上されたとあり、既にこの頃、杣人たちが峠を越え、梓川をたどって上高地に入っていたことがうかがえます。
江戸時代になると、松本藩の御用林となり人夫が入山しました。彼らは梓川のかなり上流まで入り、槍ケ岳のふもとのニノ俣谷まで梓川沿いに樵小屋が14軒あったと言われます。上高地周辺には八右衛門沢、善六沢、又白沢などの地名がありますが、これらは当時の杣人の名にちなんでいます。ただ、それでもニノ俣の先は依然として未踏の地となっていました。
「世に人の恐るる嶺の槍のほもやがて登らん我に初めて」
1823(文政6)年、修業のため飛騨の笠ケ岳に登った播隆上人は、山項から、鋭く天を突いている槍ケ岳の姿を眺め、こう歌に詠みました。3年後、その通り登頂を果たしますが、知られる限りでは、これが槍ケ岳への初登頂とされています。播隆上人はその後も5回にわたり槍ケ岳へ登り、頂上に祠を建て仏像を安置したり、岩小屋に籠って修行もしました。また、誰もが安全に登れるようにと登山道に鎖をつけ、槍ケ岳に信仰登山をする人も徐々に増えていきました。
更に明治になると、イギリスの登山家たちが上高地を基地として山に登るようになりました。1878年には、ウィリアム・ゴーランドによって「日本アルプス」の名も生まれました。そしてウェストンの活躍が始まるわけです。
その後、大正に入って上高地までパスが通じるようになると登山者も増え、旅館や山小屋も整備されました。昭和初期には中部山岳国立公園に指定され、戦後は登山者や観光客が爆発的に増え、現在の盛況をまねくに至っています。
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上高地と言えば、河童橋のたもとから望む穂高連峰と梓川の景色が有名です。旅の雑誌や、旅行ガイドなどで、この風景を目にしたことのある方も多いでしょう。が、印刷物で何度目にしていたとしても、実際に生で見ると、やはりその迫力と美しさに圧倒されてしまいます。それはまるで、「ロッキーの宝石」と呼ばれるカナダのレイクルイーズを思わせる美しさと雄大さを併せ持っています。
とはいえ、それだけではないところが、上高地の良さです。繊細な日本的風景もしっかりあって、それはそれはフォトジェニックな観光地なのです。
その一つが、大正池。1915(大正4)年6月6日に焼岳が爆発した時、火口からの泥流が梓川をせき止め、一夜にして生まれた湖だと言われます。水没した森はやがて立ち枯れ、水面に枯れ木が林立する幻想的な風景を作り出しました。特に早朝、静かな湖面に朝霧が漂うさまは日本画を思わせる美しさがあります。
ただ、残念なことに最近は、名物の枯れ木が激減しているそうです。時の流れと共に、森が朽ちて水没しているためです。もっとも、枯れ木が少なくなった分、広々とした湖面に映る穂高連峰の美しさが、かえって冴えたようだと言われてもいます。
この他にも上高地には、河童橋を基点として梓川下流の田代池や、上流の明神池など、見所がいくつもあります。下流の散策には、大正池と河童橋を結ぶ約1時間の自然研究路があり、田代池はその中ほど。この辺りの自然研究路は湿原と森コース、梓川コースの二つに分かれており、どちらもぞれぞれに楽しめます。
上流の明神池は河童橋からやはり約1時間。梓川右岸は、木道が敷かれた湿原や、小さな透明な流れが樹林の下をくぐる気持ちの良い森が続きます。その先にある明神池は明神岳のふもとに湧き、ダケカンバなどの深い森に囲まれています。ここは穂高神社奥宮で、中に入るには拝観料が必要。池の入口に嘉門次小屋があり、イワナの塩焼きや、そばなどが食べられます。明神池から更に先、徳沢までの道は変化に富んだ上高地の森を堪能出来ます。
左岸ではキャンプ場のある小梨平を過ぎた辺りから、イチイやシラビソ、コメツガ、更にハルニレやダケカンバなどの大木が見られ、針葉樹と広葉樹の混じり合った森になります。木々の下では種々の野草が花を咲かせています。5月から6月の新緑の季節に、白い可憐な花をつけるのがニリンソウ。特に明神池との分岐点から徳沢の間では所々に大群落があります。道が川沿いの高台に出ると、視界が開け明神岳や前穂高岳を望むことが出来ます。広々とした河原を蛇行する梓川と、険しい峰々との景観は見応えがあります。
梓川河畔にある徳沢は、かつて牧場があった所で、今はキャンプ場になっています。草原にハルニレの大木が点在し、思わず寝転びたくなるような心地良い風景が広がります。
大正池から徳沢までは高低が少なく、とても歩きやすい行程です。野鳥のさえずりを聞きながら、爽快な気分が味わえます。上高地散策としては、この徳沢までが一般的で、そこから上は穂高連峰を目指す山岳コースとなります。
今からおよそ50年前(正確には1972年)、高校一年生だった私は友達2人と共に松本から上高地、そして黒部ダムから富山と言うルートで試験休みを利用して旅行しました。
返信削除河童橋から見上げた槍ヶ岳の雄大さはいまでも脳裏に焼き付いています。
上高地に入る前のトンネルは間違いなく出ますね😱
やっぱり出ますか? 冬の上高地に行こうかと思ったことがあるんですが、あのトンネルを歩く勇気がなく・・・。
削除私も最初に訪れたのは50年前(大阪万博の年)の夏、父のカローラに夜逃げみたく荷物を積み込み、あの釜トンネルをガタガタいわせながら抜け、梓川沿の小梨平でキャンプをした思い出があります。印象的だったのは、岳沢もそうなんですが澄んだ梓川の50cmを超える大イワナに興味深々でした。その夜の夕食は大イワナだったことも忘れられないひとつなんでしょうけど。。
返信削除(当時も禁猟だったのかは定かですけど。。時効)
以降、幾度となく上高地(神垣内、神降地)は訪れていますけど、11月15日以降から根雪になる前の河童橋から岳沢の写真ってあまりないですよね。ただし、あの釜トンネルを徒歩で抜けなければなりません。それともう一度あの大イワナを見てみたと思います。
eyondRiskさんは、絶対に行っていると思いました(笑。元フリーのカメラマンで、現在は山梨に移住して陶芸をしながら林業もやっている友人も山が好きで、しばらく涸沢小屋にいたことがあります。
削除まだ山を始めたばかりのころ夏の涸沢小屋に泊まりましたが、一畳に横向きで4人寝るという(前は女性でした)信じがたい現象に出くわしました。小屋の方達もお客もパニクリ状態(収容所の方がましか?)
削除以後、小屋で泊まることはなくなりました。(笑
山に行って、小屋に泊まらない人もいるんですね。。。目から鱗
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