日本最東端と最西端 - 納沙布岬と与那国島

この間、日本最北端の地・宗谷岬のことを、稚内の記事で書きましたが、私、最東端と最西端にも行ったことがあります。

国土地理院は、日本の最東端を東京都の南鳥島、最西端を沖縄県与那国島、最南端・東京都沖ノ鳥島、最北端は北海道択捉島と発表しています。ただ、宗谷岬の時に書いた通り、択捉島は現在、ロシアが実効支配しており、自由に往来は出来ません。また、南鳥島と沖ノ鳥島は無人島で、通常の交通機関で行ける島ではありません。そのため、最西端の与那国島以外は、一般的には最東端が北海道根室市の納沙布岬、最南端が沖縄県の波照間島、最北端が宗谷岬ということになっています。

このうち、東西の納沙布岬と与那国島は、だいぶ前のことですが、それぞれ取材で訪問しています。


与那国島に行ったのは、今から34年も前の1986年でした。日本トランスオーシャン航空がまだ南西航空と言っていた時代で、飛行機はDHC-6という19席の超小型プロペラ機でした。当時は、石垣島との間を1日4往復していました。取材は与那国島に住む方の追跡取材だったのですが、与那国での取材ではなく、朝一番の飛行機で与那国を出て、石垣で1時間程度の会議をこなした後、与那国島へトンボ帰りするというパワフルな行動を取材するためでした。そのため、前日に与那国入りすることに。

石垣島から与那国島までのフライトは30分ほどでした。石垣の空港を飛び立った機は竹富島、小浜島、西表島の上空を通過し、与那国島へ向けて順調に飛行。窓から下を覗くと、島や海が間近に見えました。

座席前のポケットに目をやると、団扇が差し込まれています。乗客はこの団扇を仰いで涼を取るという、南国情緒あふれるシステムなんでしょうか。そこで私は、団扇を取り出し、優雅に仰ぎ始めました(実はその団扇、この間、片付けをしていたら出て来ました)。


与那国空港にはほぼ定刻通りに到着。取材対象の方が出迎えてくださり、その後、車で島を一通り案内してくれました。与那国島は面積28.5平方km、周囲27.5kmの小さな島ですが、車窓から見る限り、とてもそうは思えず、本州にはない大陸的な風景が展開していました。

与那国島 最西端の碑
与那国島は那覇から約520km、石垣島から約127kmの離島です。が、台湾までは約111kmで、与那国島の最西端からは年に数回、台湾が見えるそうです。そして、そこが日本の最西端なわけです。

翌朝は、取材対象の方と石垣島へフライト。その便は少し空席があったと思います。離陸前、スチュワーデスさんが、飴を配ってくれました。しばらくして、コックピットの観音扉を開けて機長が顔を出し、頭を上下に細かく動かしながら客席を見て、何かを確認しているようです。そしておもむろに、それでは離陸します、と。

えっ! 時間前ですけど・・・。空席もあるのに出ちゃうの? と驚くのは私だけで、一緒に乗った与那国島の方たちは平然としています。乗ってる人、みんな知り合い? もしかして機長が確認してたのは「みんないるね」的な? なんぞと、私の頭の中はハテナマーク。

そんな私を尻目に、スチュワーデスさんが最後尾の席から機内放送。
「本日も南西航空にご搭乗くださいましてありがとうございます。本日の機長は●●、副操縦士は●●、お伴します乗務員は私●●でございます。なお石垣までの飛行時間はおよそ30分の予定でございます」
そのアナウンスを聞いて、私は、座席前ポケットから団扇を取り出しました。

 ◆

根室に取材に行ったのは1992年2月、ベテラン・ライターの原武夫さんと一緒でした。東京からは釧路空港へ飛び、釧路からJRで根室まで行くのが一般的で、乗り換えなどを入れると6時間ぐらいかかりました。


が、その時は根室の方が、釧路空港まで迎えに来てくださいました。 根室から釧路空港まで140kmほどあるんですが、北海道の方は、そのぐらいの距離は何でもない、と。車中で話を聞ける利点もあるので、遠慮無くお言葉に甘え、楽をして根室に入ることが出来ました。

着いて早速、取材を開始。原さんを中心に、数人の方からお話を伺いました。そんな中、私の体調に異変が・・・。汗がだらだらと流れてきます。

どうやら、厚着をしすぎて、のぼせてしまった模様。真冬の北海道の取材は初めてだったので、かなり重ね着をしていたのですが、室内が半袖でも大丈夫なほどの室温だったため、室外の寒さを想定して厚着していた私は、完全にやられてしまいました。

一夜明け、根室市内を案内してもらいながら、周辺取材を重ねました。その際、最東端の地・納沙布岬にも行きました。その日は天気が良く、肉眼で歯舞諸島を見ることが出来ました。根室市内でも、「返せ北方領土」の横断幕や看板を目にしましたが、こうして目の前に島を見ると、それが実感として胸に刺さりました。


余談ですが、取材の日は2月14日のバレンタインデーでした。取材先の事務の女性はとても優しい方で、私たちにもチョコレートをくださり、ホッコリして帰京しました。そして羽田に着いて、家に電話を入れたところ、家内に代わって当時9歳の息子が出て来ました。声が上ずっています。

聞くと、チョコレートをたくさんもらったらしいのです。中には、4時に公園でという子もいたそうです。驚いている私に「で、パパは?」と息子の勝ち誇った声が・・・。やな子だね、親の顔が見たいわ。。。パパだって根室で、取材先の岡崎さんからもらったんだぞ、一つだけど・・・。義理チョコだけど・・・。力なくそうつぶやく私でした。

※ちなみに、2013年に沖縄へ行った折、那覇・桜坂のおでん屋さんで、東京から観光に来ていた若い女性に「日本の最西端の駅は那覇空港駅で、隣の赤嶺駅が最南端」だと教えてもらいました。むむっ、そうなのか、と感じ入った私。翌日は、那覇空港までの移動に初ゆいレールを選択。更に終点の那覇空港駅に着いたところで、「あなたは日本最西端の駅弁を食べましたか?」という挑発的キャッチにやすやすと乗ってしまいました。当たり前のことですが、駅にも端っこは存在するんですね(参考:最東端=東根室駅、最北端=稚内駅)。

根室市観光協会:https://www.nemuro-kankou.com/
与那国町観光協会:http://welcome-yonaguni.jp/



コメント

  1. CAさんのアナウンスを聞いておもむろに団扇をパタパタした姿が目に浮かびましたが、なぜアナウンスを聞いたらパタパタなんですか?😊

    返信削除
    返信
    1. ホントに離陸するんだ、と。確か、この機、冷房が入ってなかったと記憶しています。送風はありましたが、さほど上空を飛ぶわけではなかったので、団扇はお土産ではなく、実用のためだったのでは。

      削除
  2. 最西端の碑の前におられるのは筆者ですよね。
    1986年(昭和61年)懐かしきバブル景気が始まったころ、楽しい時代でした。

    そう言えば、根室には「ムツゴロウ王国」ありましたよね。

    返信削除
    返信
    1. へい、私です。自分のモザイクかけたくなかったので、小さくしておきました(笑。。。

      削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

悲しい歴史を秘めた南の島の麻織物 - 宮古上布

愛媛県南部の初盆行事 - 卯之町で出会った盆提灯

銘菓郷愁 - 米どころ偲ばせて「養生糖」 新潟県新発田

『旅先案内』都道府県別記事一覧

岩手の辺地校を舞台にした「すずらん給食」物語

上州名物空っ風と冬の風物詩・干し大根 - 笠懸町

越後に伝わるだるまの原型「三角だるま」

地域の復興に尽くすボランティアの母 - 八幡幸子さんの話

飛騨高山で味わう絶品B級グルメとスーパージビエ

日本最北端・風の街 - 稚内