投稿

1月, 2021の投稿を表示しています

鶏肉じゃない「やきとり」で室蘭の町を元気に

イメージ
室蘭市が発行している広報誌 『広報むろらん』の2001年9月号 に、「”焼き鳥”で室蘭をアピール」と題し、次のような記事が掲載されました。 「最近、市内外で注目を集めている室蘭の焼き鳥。この焼き鳥で室蘭のまちおこしを、と考えている団体がある。室蘭中央ライオンズクラブだ。(中略) 同クラブでは、この焼き鳥に注目。今後1年間、重点的に焼き鳥をアピールしていこうと、今年7月『焼き鳥委員会』を立ち上げた。 市民には焼き鳥を室蘭独自の食文化として、より一層愛着を持ってもらう。市外の人にはそのおいしさを売り込み、まちの活性化とまちづくりに役立てるのが狙い(後略)」 ここで、基本的なことを押さえておかないといけないのですが、「室蘭やきとり」は鶏ではありません。豚です。豚なのに、なぜ「やきとり」か、という疑問はひとまずおいて、「室蘭やきとり」と言えば、豚肉、タマネギ、洋がらし、がお決まりです。鶏肉、長ネギ、七味唐辛子の一般的な焼き鳥とは大いに趣を異にしています。さて、「室蘭やきとり」の基礎知識を得たところで、続きにまいりましょう。 実は、この記事の前に、 『広報むろらん』は2000年11月号 で、「やきとりを探る」という特集を組みました。それは、なぜ室蘭独特の「やきとり」が生まれ、定着したかを探る企画でした。ルーツ自体は諸説があって、定かではないのですが、この企画が室蘭中央ライオンズクラブに活動のヒントを与えました。 1909(明治42)年に初めて溶鉱炉に火がともって以来、室蘭は鉄鋼の町として繁栄。最盛期には人口16万人を超えていました。この頃、室蘭の街は活気にあふれ、鉄鋼労働者を中心に繁華街は夜中までにぎわいました。 そして、こうした労働者の胃袋を満たしていたのが「やきとり」です。新日鐵の工場があった輪西には、ずらーっと「やきとり」の屋台が並んでいたといいます。 しかし、そんな室蘭も、鉄冷えと共に人口が減り続け、『広報むろらん』の記事が出た2000年頃は10万人に。道内の人たちからは、「寂しい街」というイメージで見られるようになってしまいました。 そんなイメージを吹き飛ばし、市民に元気を与えたい。かつては肩が触れ合うほどのにぎわいを見せ、今はネコも歩かない、日本一寂れた商店街と言われる室蘭に、再び活気を取り戻したい。室蘭中央ライオンズクラブの「やきとり委員会」は、そんな気持ちから

インパクト大の青森二大B級グルメ - 生姜味噌だれおでんと味噌カレー牛乳ラーメン

イメージ
このブログは、あまり計画性がないため、書き終えた記事に引きずられる傾向があり、今はご当地グルメやB級グルメのネタが続いています。今回は青森編で、私を導いてくれた導師は、青森市から西へ40kmほどのつがる市から、わざわざ駆け付けてくれたOKさんでした。 私はその日、 仙台から天童へはしご酒をした 仲間の一人、横浜のKTさんと共に、朝から北海道・函館へ行っていました。函館は雪で、天候によっては羽田へ戻ることもあるという条件付きフライトでした。しかし、雪の中、飛行機は無事に到着。函館での仕事も滞りなく終わり、空路、羽田に戻られるKTさんと別れ、私は列車で青森へ移動しました。 私が乗ったスーパー白鳥26号は、その当時、函館13時54分発、14時38分に青函トンネルに入り、14時52分にトンネル最深部到着、そして15時03分にトンネルを出て、15時41分青森着となっていました。青函トンネル前後も含め、80km以上トンネルが続きます。この時はまだ在来線でしたが、既に新幹線が通れる規格になっていたようです。 そして、青森でも夕方から一本仕事を片付け、OKさんの案内で、市内へ繰り出しました。リクエストは、マイブームのB級グルメです。 で、OKさんが連れて行ってくれたのが、青森おでんの「なら屋」さん。青森おでんは、すりおろした生姜と味噌を混ぜ合わせたたれをのせたおでんで、見た目、かなりのインパクトがありました。ちょっと見、味付けがかなり濃いのではと思ったのですが、だしはよく染みこんでいましたが、くどくはなく、おいしいおでんでした。 戦後、青森駅前周辺に出来た闇市の中のある屋台が、冬の厳しい寒さの中、青函連絡船を待つ乗客に少しでも暖まってもらおうと、味噌にすりおろした生姜を入れたのが始まりと言われています。そして、そのおでんが客にとても喜ばれ、市内各地に広まったそうです。 ただ、青森おでん=生姜味噌だれおでん、というだけの単純な図式ではありません。「 ディープな街にある沖縄おでんの名店・悦ちゃんと東大 」で記事にした沖縄おでんも、おでんだねに特徴がありましたが、青森おでんも同じです。 まず、「ツブ貝」が入っています。陸奥湾産の貝で、生姜味噌がツブ貝独特の臭みを消してくれ、なかなかどうしておいしいのです。更に「ネマガリタケ」。なぜ、おでんにネマガリタケを入れるようになったのかは不明らしい

鉄板焼き鳥にセンザンキ、焼豚玉子飯 - 今治のソウルフードはすごいぞ

イメージ
このところ、ご当地グルメとかソウルフード、B級グルメにまつわる話が続いています。そこで、今日もその流れのまま、鉄板焼き鳥、センザンキ、焼豚玉子飯など、独特の食文化がある愛媛県今治市を紹介します。 今治市を訪問したのは、山火事ではげ山となった笠松山で行われた大規模な植樹ボランティアの取材のためでした。笠松山は、今治市朝倉地区のシンボルとも言うべき山で、標高357mの山頂には観音堂もありました。また、瀬戸内海国立公園の一部として遊歩道が設けられ、山側も海側も眺望が開け、多くの人に人気のあるハイキングコースだったそうです。 しかし、2008年の夏、たばこの火が原因と見られる山林火災が発生。わずか48時間で、灰と炭だけの変わり果てた姿になってしまいました。私が取材させてもらった時は、一般ボランティアの他、児童養護施設の園生やボーイスカウト、プロ野球独立リーグ「愛媛マンダリンパイレーツ」の選手、主催の地元ライオンズクラブら総勢約150人が参加。みんなで1000本の苗木を植樹されました。 植樹は午前中に実施されるため、今治には前日に入りました。その夜、取材先の一員でもある友人のIYさんが、今治のソウルフード「鉄板焼き鳥」に案内してくれました。 焼き鳥と言うと、一般的には串に刺して炭火などで焼くものを想像します。しかし、今治では鉄板で焼きます。前のブログに登場した、 高山の焼きそば(ちとせ)と鉄板焼きとうふ(国八食堂) 、 神戸のお好み焼きとそばめし(青森、ゆき) を含め、世の中には、鉄板を使って調理する料理はたくさんあります。そう考えれば、鳥を鉄板で焼いて何が悪いというわけです。 今治で、鉄板焼き鳥が始まったのは、昭和30年代半ばのことです。 今治は、瀬戸内海に面する古くからの港町で、漁師が多い土地でもあります。 朝の早い漁師たちは、早めに一杯やっておきたいと、まだ仕込み中の夕方から焼き鳥屋に行き、早く焼けと要求。 しかも、彼ら漁師に限らず、今治の人はかなりせっかちらしく、焼き鳥屋で注文をしても、もたもたしていたら、焼き上がるのを待たずに帰ってしまうんだとか。炭火でじっくり焼いていては、そんな今治人の求めに応じられない、と考えたある焼き鳥屋の主人、遂に鉄板焼きでイラチな今治人に対抗することにしたのです。 鉄板焼き鳥では皮が最もポピュラーなのですが、串に刺した炭焼きの皮が柔らかい

ディープな街にある沖縄おでんの名店「悦ちゃん」と「東大」

イメージ
少し前まで、寒くなると「おでんの季節になりましたねえ」なんて言っていたのに、今や1年中おでんを売っているコンビニもあります。日本人って、いつからこんなにおでん好きになったんでしょう。しかも、南国・沖縄でも、おでんはしっかりと根付いています。 以前のブログで、うるま取材の際、 ホテル選択の決め手が、近くにおでん屋があったから、と書きました。ちょっとだけ再掲してみます。 「ホテルは、旧具志川市にあるホテルハーバーで、なぜここを選んだかと言うと、近くに『いこい』というおでん屋さんがあったからです。 知らない人は、『わざわざ沖縄でおでん?』と思うかもしれませんが、実は沖縄の人は、おでんが大好きらしいのです。私はこれまで、那覇市の有名店『悦ちゃん』と『東大』に行っていますが、どちらもとてもおいしかったので、カメラマンの田中さんにもぜひ沖縄おでんを味わってもらいたいと思ったのです。 沖縄おでんには、テビチ(豚足の煮込み)やウィンナー、夏ならウンチェー(空心菜)、冬なら小松菜、レタスなど季節ごとの青物が入ります。もちろん大根、玉子、昆布など、定番のおでんだねもありますが、やはり郷に入っては何とやら、いこいでは、迷わずテビチと野菜とソーセージを注文しました」(「 沖縄の定番グルメ『いなりチキン』と『沖縄おでん』 」から) そうなんです。沖縄で飲む時、私は結構、おでん屋さんを選択しがちなのです。沖縄おでんは、泡盛にも合うんですよねえ。 沖縄おでんの詳しいルーツは知らないんですが、一つの説として言われている「飲み屋発祥説」には、結構納得してしまう私です。実際、沖縄の飲み屋街には必ず、おでん屋さんがあるみたいで、うるま市の「いこい」の周囲にも居酒屋さんが何軒かありましたし、有名店の「悦ちゃん」は、戦後沖縄の繁華街として最も栄えた「桜坂社交街」の入り口に、また「東大」は、ディープな飲み屋街「栄町市場」の場外にありました。 そんなわけで、今回は、沖縄おでんの名店「悦ちゃん」と「東大」、そしてその周辺の記事になります。 「おでん 悦ちゃん」は、私にとっては、沖縄おでんに興味を持つきっかけとなった店です。というか、最初は、おでんではなく、「悦ちゃん」そのものに興味を持ったのですが・・・。 というのも「悦ちゃん」、営業中でもドアに鍵を掛けているというのです。で、客は外からトントンとノックをして入れ

長田のB級グルメ群。そばめし、ぼったこ、みかん水

イメージ
神戸市の花・あじさい 旭川で塩ホルモン(「 塩ホルモン発祥の地、道北・旭川グルメ旅 」)を食べてから1年ほど経ったある日、その時の面子が、神戸で顔をそろえました。カメラマンの田中さんとライターの砂山さんは富山、私は下関で、それぞれ取材を終え、神戸での取材のため合流。これに、神戸が地元のDHさんと、その先輩・のりちゃんさんを加え、北野でスタバ・ミーティングを行いました。 北野のスターバックスは、1907(明治40)年に建てられた木造2階建ての建物で、国の登録有形文化財に指定されています。更に店内は、アンティーク調の家具で統一され、なかなかどうして優雅なカフェタイムを過ごせました。 ところで、この時の神戸取材に当たって、田中さん、砂山さんと私は、綿密に打ち合わせを重ねました。ただし、綿密だったのは、ディープな神戸探訪の件でしたが・・・。 そして取材後、我々が速攻向かったのは、長田区の駒ケ林でした。目的は、西神戸センター街にある、お好み焼き「ゆき」のそばめし&ぼったこ。 地下鉄駒ケ林駅上は、DHさんとの共通の友人・THさんの会社と聞き、電話を入れてみました。しかし、残念ながらその日は定休日ということで、お会いすることは出来ませんでした。で、歩いているうち、シャッターを下ろしている店が結構多いことに気づきました。居酒屋も定休日になっています。この辺りで私、非常にいや〜な予感が・・・。 しかも、そのいや〜な予感は的中してしまいます。「ゆき」も定休日になっていました。そうなると急にお腹が空き始め、周囲を探索。そのうち、とってもディープな一角を見つけました。 「丸五市場」です。中に入ると、何となくアジアン・テイストな空気感。店先の鉄板で、牛すじやホルモンを焼いている店。「どんぶり かれーあじ」「どんぶり しょうゆあじ」とメニューを書いた看板を掲げる店(いったい何丼だあ!)。 すると、更に発見。「丸五丼」。ウナギの蒲焼きにマグロのヅケ、焼き鳥、カルビになぜか漬け物までのっかって・・・。丸五市場が誇る5品を集めた丼だそうな。 むむっ! これは逃せないのではないか! 我々3人、等しく色めき立ったものの、よくよく見ると、毎月5の付く日限定と書いてあります。今日は何日だっけ? とお互いに聞くものの、瞬時に日にちが思い浮かばないほどの焦りよう・・・。 が、少し冷静になったところで、ここはひと

飛騨高山で味わう絶品B級グルメとスーパージビエ

イメージ
高山は、戦国武将・金森長近が、京都を模して形成した城下町です。長近は、織田信長に仕え、「天空の城」と呼ばれる越前大野城を築いたことでも知られます。大野も、高山と同じような碁盤目状の城下町で、1576(天正4)年に造られました。その10年後、豊臣秀吉から飛騨国を与えられた長近は、1588(天正16)年に高山城を築城し、城下町も整備しました。 現在では、大野市が「北陸の小京都」、一方の高山市は「飛騨の小京都」と呼ばれています。 私が担当していた写真コンテストの常連に、高山の岩佐清さんという方がいらっしゃいました。岩佐さんは、産婦人科医で、上一之町、上ニ之町と共に、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている上三之町に医院を構えていました。築180年余りになる建物は、伝統的な町屋の造りで、病院部分をリフォームした以外は当時のままでした。 ちなみに雑誌の写真コンテストは、1989年から2007年まで続きました。岩佐さんは、当初から応募してくださり、最終回の時は80歳を超えておられましたが、きっちり優秀作を獲得。2004年には、1年間の最優秀作の中から選ばれる年度賞にも輝きました。以前のブログ(「 人の営みにより作られた美しい風景 - 山古志 」)で、この写真コンテストに参加された方を案内人に、ブログのタイトルに使っている「旅先案内」という企画を立てた、と書きましたが、岩佐さんも、その案内人のお一人で、お好みの撮影スポットを中心に、高山の街を紹介してくだいました。 さて、その高山に、前のブログ(「 復興屋台村取材で出会った気仙沼の名物グルメたち 」)で触れた、岐阜県・各務原の友人OTさんが、移住をしました。しかも、2005年に高山市に編入するまでは村だった、高根という地区に住むことになりました。この高根、北を乗鞍岳、南を御嶽山に挟まれた文字通り「高根(=高嶺)」の村で、標高1000m、冬はめっちゃ寒くなります。 そこで、移住した最初の冬に、安否確認の電話をしてみました。SNSなどへの露出がめっきり減っていたため、半ば冗談で冬眠してるのかと聞いたら、一時大雪で避難勧告が出て、集落ごと避難をしたとのこと。びっくりしましたが、そんな所なら一度行ってみたいと(笑)、2月に家庭訪問をすることにしました。 そのやりとりの中で、近くにOTさんの友人が経営している塩沢山荘という宿があり、ジ