東武スカイツリーライン西新井駅の「西新井らーめん」


我孫子駅の唐揚げそば(常磐線我孫子駅「弥生軒」の唐揚げそば)、鳥栖駅のかしわうどん(鳥栖駅6番ホーム「中央軒」のかしわうどん)に続いて、西新井駅の立ち食いラーメンの紹介です。

ホームの立ち食いそばは、かなりの数があると思いますが、ラーメンは珍しいのではないでしょうか。国民食の一つと言われるほど人気のラーメンなのに、なぜホームの立ち食いというとそばやうどんが中心になるんでしょう。駅のホームという場所柄、提供までの時間が問題なんですかね。

それはともかく、西新井駅のラーメンは、1983年に埼玉県越谷市へ引っ越し、築地へ通勤するようになって、その存在を知りました。

ちょっと身の上話をすると、私は新宿区生まれ、小金井市育ちで、結婚するまではJR中央線の武蔵小金井駅から歩いて5分ほどの所に住んでいました。一方、妻の実家は中野で、結婚してからは、東村山市にアパートを借りて住んでいました。しかし、義父はリタイア後、故郷である茨城県古河市に移住する予定だったこと、また私の事務所が築地であることから、両方に利便性がある東武伊勢崎線沿線に的を絞って、家を探しました。

結果、越谷市で土地を見つけて家を建てることになり、妻と2歳前の長男の3人で埼玉県人となりました。その後、長女が生まれ、更には年月を経て長男、長女が結婚して孫も生まれましたが、一昨年まで東武線での通勤が続きました。が、実のところ、わざわざ途中下車してまでラーメンを食べようとは思わず、「西新井らーめん」を食べたのは、長男が小学校高学年の一時期だけでした。


「西新井らーめん」を食べることになるきっかけは、中学受験を控えた長男の日曜テストでした。当時、四谷大塚のテストを受ける長男とその友人に付きそうのが、毎日曜日の恒例になっていました。で、西新井駅で準急に乗り換えたりする際、めざとく「西新井らーめん」を見つけた長男のリクエストで食べることになったのです。

以後、それが恒例のようになり、今では2人の子どもの親となった長男は、初詣で西新井大師へ行き、帰りに家族で「西新井らーめん」を食べるというのが、正月の恒例行事になっているようです。別に親から親へ代々受け継ぐ恒例行事にしなくてもいいんですが・・・。子どもの頃の思い出って、変なところで残っているのかもしれませんね。

東武伊勢崎線は、1899(明治32)年に北千住駅から久喜駅までの路線として開業。開業時の途中駅は、西新井駅、草加駅、越ケ谷駅(現・北越谷駅)、粕壁駅(現・春日部駅)、杉戸駅(現・東武動物公園駅)でした。その後、延伸を繰り返し、1910(明治43)年に浅草駅から伊勢崎駅までの全線が開業しました。

「西新井らーめん」の開業は1969(昭和44)年、50年以上の老舗ラーメン店です。なので、いま流行のこってり系とは一線を画す懐かしの中華そば的なラーメンで、私のような年配者にとっても、我が家の孫たちにとっても、食べやすい味になっています。

ちなみに、この沿線にはもう一つ、東武ラーメンという立ち食いラーメンが、春日部駅にあります。春日部駅は東武伊勢崎線(スカイツリーライン)と、千葉県の柏駅と埼玉県大宮駅と結ぶ東武野田線(アーバーパークライン)の結節点になっていて、東武ラーメンは、東武野田線のホームにあります。

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