鳥栖駅6番ホーム「中央軒」のかしわうどん


今から20年近く前、サロンパスで知られる久光製薬の元会長・中冨正義さんにお会いするため、佐賀県鳥栖市を訪問しました。事前にご本人と約束し、「白寿のジョガー」として取材させて頂くことになっていたため、鳥栖到着後、真っ直ぐご自宅へ伺いました。

1905年生まれ中冨さんは、60代も後半を迎えたある日、旧友から高齢者マラソン出場を誘われました。学生時代は陸上部でしたが、50年近くも走りから遠ざかっていました。いったんは無理だと断ったのですが、旧友の「途中で歩いてもいいから」の一言にカチン。生来の負けず嫌いが頭をもたげ、練習に励んだ末、見事完走。

これをきっかけに、その後、国内外の大会へ次々と出場。ついには82年、77歳の時にホノルルでフルマラソンを走ってしまいます。以来、ホノルルには15回連続出場。サロンパスの試供品を詰めた大きな袋を肩からかけ、沿道の観衆に配りながら走るのが名物となりました。

実は中冨さんとはそれ以前に、どこかのホテルで偶然お会いしたことがありました。その時、乗り合わせたエレベーターで、同行されていた方が持っていた袋からサロンパスを取り出し、渡されたことがあります。突然のことで驚いたのも確かですが、ホノルル・マラソンでサロンパスを配るエピソードは聞いていたので、結構うれしくなったものです。


そんな話を枕に、いろいろ伝説的エピソードを伺おう、なんぞと考えながら、中冨家のインターホンをピンポーン。すると、家の方が出てこられ、中に入れてくださいました。取材のため中冨さんにお会いしたい旨伝えると、いま旅行に出ているとの返事。

呆然とする私に、ご家族が申し訳なさそうに声を掛け、経緯を聞いた上で、少し待ってほしいと。しばらくして、手ぶらでお帰しするわけにはいかないので、とりあえずマラソン関係も含め、エピソードを詳しく知っている関係者の方に集まってもらうことになった、とのこと。

せっかく手配をしてくださったので、そちらに出向き、お話を伺うことにしたのですが、行ってみると、結構な人数が集まっており、これも中冨さんの人徳なのだろうと察しました。で、基本的なエピソードはそこで伺い、後でご本人からは電話取材でコメントをもらうことにし、写真も先方が手配してくれることになりました。その後、世間話に入り、鳥栖の町についても、いろいろお話を聞かせて頂く中、気になる情報が飛び込んできました。

それが、鳥栖駅6番ホームの「かしわうどん」でした。集まっていた皆さんは、結構な年配の方たちで、今は列車に乗ることなどめったにないようですが、誰かが、学生時代によく鳥栖駅の「かしわうどん」を食べた、と昔話を始めると、皆さん一様にうなずき、おれも、おれもと話が一気に盛り上がりました。


聞くと、鳥栖駅には中央軒という立ち食いの店が4カ所あるそうですが、どうしてか6番ホームのうどんが一番うまいんだとか。いわば都市伝説的なものなんでしょうが、こう聞くと気になってしょうがない私、絶対に食べずにおくものか、と即決しました。

実はこの中央軒、九州で初めて立ち食いうどんを始めた店だそうです。元々は1892(明治25)年に鳥栖駅で駅弁の販売を始めた八ッ橋屋と、1913(大正2)年に鶏めし駅弁「かしわめし」の販売を始めた光和軒など、近隣の国鉄管内で営業していた5社が、42(昭和17)年に戦時統制により合同、53(昭和28)年に中央軒に改称し、56(昭和31)年から鳥栖駅構内で立ち食い形式の「麺類売店」を開業しました。

メニューは結構あるんですが、何と言っても一番人気は、鳥栖の皆さんも話していた「かしわうどん」。うどんのスープは、煮干しと昆布でだしをとり、2種類の醤油と酒、みりんを合わせた薄味のもので、そこに甘辛く炊いた伝統の鶏肉が加わることで、味がしまります。

他の3店舗と食べ比べていないので、6番ホームが一番おいしいのかどうかは分かりませんが、6番ホームに下りたら食べたくなる味ですし、これにより、大正時代から続く「かしわめし」も食べてみたいと思いました。

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