かつてはラグビー日本選手権の日だった1月15日

『Number』188
1月15日というと、かつてはラグビー日本選手権の日でした。私は小学生の時は野球、中学、高校はバスケットボールと、ラグビー経験は全くないのですが、ラグビー強豪校の大学に入学して以来、バスケットと並んで好きなスポーツになっています。

かつて60年代半ばから70年代半ばまで、高校のラグビー部とサッカー部を交互に舞台とする青春学園シリーズが、日本テレビで放送されていました。有名なのは、主題歌『太陽がくれた季節』が大ヒットした『飛び出せ!青春』(村野武範主演/サッカー部)でしょうが、その後の『われら青春!』(中村雅俊主演/ラグビー部)も、人気を呼んでいました。また、『青春とはなんだ』(夏木陽介/ラグビー部)や『でっかい青春』(竜雷太/ラグビー部)の再放送もあって、ラグビーは結構身近な存在でした。

ちょっと話が迷走しますが、大学1年で、「夏の避暑地で楽しい実習を」という誇大キャッチと、先輩女子部員のハニートラップに引っかかった友人2人と私は、夏休みに山中湖のリゾートホテルで、実習という名のアルバイトをしました。その際、まさしく「夏の避暑地で楽しく」過ごしていた女の子たちを、若気の至りでナンパ。で、友人の一人が、自己紹介で名乗ったのが、片桐でした。片桐は、72年の『飛び出せ!青春』で、剛達人が演じた不良少年の名前でした。友人は、あのドラマを見て、片桐という名前に惚れ込んだらしいのです。今や大学教授ですが、かなりアホな大学生でしたねぇ。

で、肝心の1月15日・日本選手権の話です。

『Number』188

ラグビー日本選手権の歴史は、1961(昭和36)年からのことになるようです(60年度)。ラグビーへの関心を少しでも上げるため、日本一決定戦を行おうとの発想でした。しかし、日本選手権という名で開催するのは時期尚早となって、NHK杯争奪戦として実施されました。この時は、日本協会による推薦で、社会人からは八幡製鉄、大学からは日本大学が出場し、秩父宮ラグビー場で対戦。結果は、八幡製鉄が50対13で勝利を収めました。NHK杯争奪戦は都合3回開催され、これを助走に、63年度から満を持して日本選手権大会が開催されることになりました。

第1回日本選手権は、社会人と大学それぞれ2チーム、計4チームによるトーナメント形式で行われ、64年3月22日に花園ラグビー場で行われた決勝では、同志社大学が近鉄を18対3で破り、第1回日本選手権の覇者となりました。そして、第2回大会からは、社会人大会の優勝チームと、大学選手権大会の優勝チームが、日本一の座を争うことになり、日程も毎年1月15日に固定されて、大きな注目を集めるようになりました。

『Number』188

母校・早稲田大学は、65年度の第3回日本選手権大会で、八幡製鉄を12対9で破り初優勝。早稲田はその後、70年度の第8回、71年度の第9回と連覇を果たしており、第8回は71年1月15日、新日鉄釜石に30対16、第9回は72年1月15日、三菱自工京都に14対11で勝っています。

更に73年度、74年度、76年度も大学日本一となり、日本選手権に出場していますが、いずれも社会人に敗れてしまいます。そして78年度からは、新日鉄釜石の7連覇が始まります。その前々年度76年度に早稲田が敗れた相手も、新日鉄釜石でした。75年度までの13年間では、社会人7回、学生6回と、ほぼ拮抗していたのですが、この北の鉄人がトップに躍り出ることで、学生と社会人の差は大きく開いていきます。

実は75年度に明治大学を初の日本一に導いたスタンドオフの松尾雄治は、翌76年度には新日鉄釜石のスタンドオフとして初優勝に貢献。その後の7連覇でも、司令塔としてチームを牽引しています。

『Number』188

で、社会人との差が開いたラグビー界に風穴を開けたのが、85年度の慶応大学でした。第23回大会は86年1月15日に行われ、上田昭夫監督の下、慶応大学がトヨタを18対13で破り、学生に10年ぶりの勝利をもたらすと共に、初の日本一に輝きました。

そして87年度、カット写真に入れている『Number』188の通り、88年1月15日、早稲田が東芝府中を22対16で破り、4回目の日本一となります。これが、学生最後の日本一で、以降、学生と社会人の力の差は更に広がっていきました。

翌89年1月15日の第26回日本選手権から95年1月15日開催の第32回日本選手権までは、神戸製鋼が7連覇を達成。7連覇の相手は大東文化大学で、102対14という大差で大東大の挑戦を退けます。これが引き金となって、3年後の第35回大会からは、現在のトーナメント方式に変更。また、日本選手権の1月15日開催も、この95年が最後となりました。

『Number』188

2003(平成15)年にトップリーグが発足すると、その流れは一層加速。学生は、日本選手権決勝の舞台に立つどころか、トーナメント1回戦でことごとく社会人に跳ね返されました。その中で、06年2月12日、第43回日本選手権準々決勝で、清宮克幸監督の下、佐々木隆道主将率いる早稲田大学が、社会人の雄・トヨタ自動車ヴェルブリッツを28対24で撃破したゲームは、衝撃を持って迎えられました。その後、学生がトップリーグのチームに勝ったのは、15年2月8日、第52回日本選手権1回戦での帝京大学(NECに31-25)のみ。そしてついに、17年度からは学生の出場がなくなり、現在に至っています。

過去57回の日本選手権優勝チームは、神戸製鋼(コベルコスティーラーズ)10回、新日鉄釜石、サントリー(サンゴリアス)各8回、東芝(グレイブルーパス)、パナソニック(ワイルドナイツ)各6回、早稲田大学4回などとなっています。学生で日本一となったのは、同志社大学(第1回)、早稲田大学(第3回、8回、9回、25回)、日本体育大学(第7回)、明治大学(第13回)、慶応大学(第23回)の5校だけです。

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