城のある風景 - 木曽川見下ろす白帝城


木曽川は、長野県の鉢盛山に源を発して、美濃高原をゆったり蛇行し、飛騨川を合わせて犬山で濃尾平野に入り、伊勢湾に注ぎます。全長209km。この川を治め、水をどう利用するかは尾張地方の古くからの課題だったといいます。犬山城は、この川が大きく曲がる断崖の上にそびえ、尾張と美濃を一望のもとに捉える位置にあります。

川に臨んで天守がそびえているところから、江戸期にここを訪れた儒者・荻生徂徠は、犬山城を「白帝城」と呼びました。これは、中国・唐代の詩人李白の詩「早発白帝城」に因んだものといい、詩の中の「朝に辞す白帝彩雲の間、千里の江陵一日に還る」に由来します。

詩の中の白帝城は、中国四川省の長江(揚子江)中流北岸に位置し、周りは峡谷で自然の要害として知られた所だといいます。『三国志』で有名な蜀漢の初代皇帝・劉備玄徳が、後事を丞相・諸葛孔明に託して亡くなった城としても知られています。

犬山城は、16世紀の半ば頃、織田信長の叔父に当たる信康が、今の場所に造ったと言われます。城の主は、その後めまぐるしく替わり、現在見るような3層5重の優美な天守閣(国宝)が出来たのは、関ケ原合戦の頃で、城下町もその頃に整備されたと言われます。

木曽川に臨み、濃尾平野を見下ろす要害の地は、徳川幕藩体制下の尾張藩にとっても重要な地でした。そのこともあってか、この城には尾張藩の筆頭家老成瀬氏が入りました。成瀬氏は、もともとは徳川家康の旗本で、この地も家康から与えられたといいますから、言ってみれば、尾張藩お目付け役のようなものでした。

そうみると、木曽川から見上げた犬山城は、まさに幕府の権威の出城のようなもので、徂徠でなくても仰ぎ見て白帝城と賛嘆したくなったことでしょう。

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