城のある風景 - つかの間の夢の青空


五稜郭の名で知られる函館の城は、西洋式の設計で、1857(安政4)年11月から工事が始まり、7年後の1864(元治元)年、完工を待たず、ここに函館奉行所が置かれました。

この城は、日米和親条約による開港に備えて、急いで造ることになったもので、火砲の攻撃に耐えられるようにと、蘭学者が設計に当たりました。五稜郭の原型は、16世紀のヨーロッパで考え出されたものと言われ、函館ではオランダ式の星型五稜の築城法がとられました。

明治維新後、五稜郭は明治政府が接収しましたが、1868(明治元)年10月、この城を旧幕臣の軍勢が襲います。軍勢は旧幕府海軍副総裁の榎本武揚に率いられた者たちで、総勢3500名。会津で戦った新撰組副長の土方歳三も合流していました。

小さな戦闘はありましたが、政府側はことごとく敗北、10月25日には、箱館府知事以下の政府関係者が青森へ去りました。

国際法に詳しかった榎本は、11月に入ってイギリスやフランスの領事らと会談、国内の紛争には不干渉の立場をとる、という覚書をとりつけ、榎本らの集団を"事実上の政権"と認めさせました。

更に、榎本らの集団は上級士官以上の者たちによって選挙を行い、"政権"の代表などを決めました。投票総数は856票だったと言われ、総裁には榎本、副総裁には陸軍奉行並だった松平太郎が選ばれました。陸軍奉行には大鳥圭介、同格に土方歳三らが名を連ね、いわゆる"共和国"が誕生しました。

12月15日、"共和国"の出発を祝って祝砲が鳴り響きます。榎本らにとっては、この時が夢の青空が輝いていた時期だったでしょう。

1869(明治2)年正月、榎本らの"政権"承認を求めた嘆願は却下され、政府は圧倒的な軍勢で五稜郭に迫り、土方歳三も市街戦で逝きます。5月18日、五稜郭開城。"共和国"は、つかの間の夢に終わりました。

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