城のある風景 - 先人の悩み秘めた雪の里


東北は、かつて「白河以北一山百文」と言われ、ひとしなみに蔑視され、差別されました。明治維新の折の戊辰戦争が遠因だと言われています。

戊辰戦争で、東北は揺れました。薩長の下級武士の思い上がりに対する反発もあって、列藩同盟まで結成して、北上する維新軍に抵抗しました。動き始めた時代に関する情報も、思うように手に入りませんでした。

もともと同盟に対して消極的であった秋田藩佐竹氏は、家老の戸村十太夫を列藩同盟に送り、調印させました。ところが、秋田は、尊皇思想家・平田篤胤を生んだ土地で、その考えが、青年武士の中に広がっていました。維新軍は、そこを狙ってけしかけました。1868(慶応4)年7月、一種のクーデターが起こり、秋田藩は列藩同盟を離脱してしまいます。同盟成立から2カ月後のことでした。

脱盟に怒った同盟側は、荘内藩兵を核とした軍勢をくり出して秋田藩を攻め、8月、同盟軍が横手城に殺到しました。

横手城は、1672(寛文12)年から、戸村氏が世襲で守りに当たっていたもので、秋田藩の支城でした。同盟調印の当事者であった戸村十太夫にしてみれば、誠につらい立場でしたが、本藩の意志決定には従うしかありません。

横手城の藩兵は、城下の横手川に架かる橋を断って防御を固めましたが、同盟軍は大木を橋代わりにして、大手口から攻め入りました。加えて、場内から火が出たものですから、藩兵も思うに任せず、城から脱出するしかありませんでした。既に7月、江戸は東京と改められ、明治はすぐそこまで来ていました。

横手城本丸跡にある天守閣は、模擬城で、郷土資料館になっており、中に戊辰戦争を描いた絵画が掲げられています。東北にとって、戊辰戦争とは何だったのでしょう。朝廷か、幕府か、選択に迷った先人たちの悩みの深さが秘められているようです。

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