城のある風景 - 復活した太閤さんの城


大坂城といえば、誰もが思いつくのは、豊臣秀吉・太閤さんでしょう。下層階級からのし上がっていった秀吉は、自らの政権をうち立てた時、栄華を誇示し、大坂城を金・銀で飾りたてました。

大坂城は、もともとは石山本願寺があった所で、地勢上も優れた位置にありました。織田信長は本願寺を攻めてここを手に入れ、後を襲った秀吉がここに城を築いたのですが、その子秀頼の代で、徳川勢に攻められて落城してしまいました。

徳川氏は、権威を示すためにも、太閤さんを上回る城を造り上げねばなりませんでした。諸大名を動員して大改修をやり、太閤さん時代の敷地の上に10mもの盛り土をして工事をやりました。よほど豊臣氏の影を払い除けたかったのでしょう。

運ばれた大石の数は40万個にも及んだといいます。諸大名もうんざりしたでしょうが、石に紋様を刻んで、確かに協力しましたぞ、という印にしました。天守閣も造り変えられ、5層6階・59mほどのものになりました。

こうやって造り変えられた大坂城は、もう一度落城します。1868(慶応4)年1月、戊辰戦争が起きて炎上、徳川時代の大坂城は終わりとなります。天守閣は、既に1665(寛文5)年に落雷で燃え、無くなっていました。

それから大正に至るまで、大坂城は天守閣の無い城でしたが、太閤さん以来、城は大阪のシンボルとなっていました。ぜひとも天守閣が欲しいということになり、大阪の人々が立ち上がります。

1931(昭和6)年、大阪市民の手で高さ約53mの天守閣が再建されました。外観は、大坂夏の陣の塀風に描かれた形をとり、初の鉄筋コンクリート造りのものになりました。全階エレベーター付きという近代型です。

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