城のある風景 - 守られ続けた世界の名城


JR姫路駅を降りると、広場から延びる50m道路の先に、城が白い駅舎と向かい合って浮かびます。姫路は城の町です。

姫路は古くから、交通の要衝として知られ、この地に初めて城が築かれたのは、14世紀の半ば頃でした。1600(慶長5)年、池田輝政がこの地に入り、9年の歳月をかけて本格的な城造りに取り組みました。内堀から中堀、外堀へと広がる螺旋状の区割りや、大天守を中心に小天守を配した連立式天守閣の威容など、姫路の街と城の骨格が、この時にほぼ姿を現しました。

工事に動員された人々は、約2430万人に及んだといいます。1618(元和4)年には本多忠政が入城して、未完成だった西の丸などを構築して、城を完成させました。

白い漆喰を総塗籠めにした優美・壮麗な城は、その後もこの地の人々の誇りとされてきましたが、幕末期・鳥羽伏見の戦いの際は、戦火にさらされそうになります。幕府側だった姫路藩を、長州藩が備前岡山藩を前面に立てて攻めようとしたのです。

その岡山藩は、池田輝政を祖とします。城の遺徳が人々に不戦の途を選ばせ、城は無事開城となりました。

こうして幕末の危機を生き延びた姫路城でしたが、明治政府の廃城の方針の下で、この城も入札にかけられ、23円50銭で落札されました。落札した人は、城郭を解体して使おうとしたのですが、莫大な経費がかかることが分かって、事態は振り出しに戻りました。

1878(明治11)年、この名城の危機を、陸軍の中村重遠大佐が救います。当時、全国の城は陸軍の管轄下にあったのですが、彼の意見具申で保存が決まり、やがて明治の大修理が行われて、城はよみがえります。また、1934(昭和9)年からは昭和の大修理事業が始まり、2度の空襲にも耐えて、30年にも及ぶ工事が続きました。

1993(平成5)年12月には、ユネスコの世界文化遺産に登録。更に、2009年(平成21)年から始まった平成の修理は、2015年に工事が完了。改修でよみがえった城は、守り続けた人たちの熱い心で、白く輝いているかのようです。

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